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高価な楽器を購入する話1 [雑文]

 音楽が好きだ。とにかく好きだ。いいギターが欲しい。いい音楽のある、豊かな人生を送りたい。楽器は結構売ったり買ったり作ったりしてきたが、楽器を弾いて楽しむことだけに時間を使いたくなったのだ。専門家にお金を払って、蓄積した素晴らしい技術を生かした楽器を”作って”もらい、その果実である楽器を楽しみたい、、、。そう考えた。人生に残された時間は貴重だ。もちろん注文する前に、数箇所の楽器屋さんを訪れ、事情を説明し、いろいろな製作家の楽器を見せてもらった。私は他人に自分の楽器を触らせない。だから売り物の楽器を触るのは申し訳ないと思う。見せて頂くときは、細心の注意で弾くようにしている。人様の楽器を触るのも極力避けている。

 楽器の世界では”音がいい楽器”であることが言うまでもなく重要だ。しかし私のようなただただ音楽が好きな愛好家にとって、楽器は愛着の対象でもあるので、”音がいい”こと同様”美しい楽器”であることも重要だ。プロではないのだから。楽器を抱えたり眺めたりし、うっとりしたり舐めたり?したいわけだ。このようなやや変態じみた気持ちは、わかる人には言わなくてもわかるし、わからない人にはわからないだろう。人によってはブランド性も重要で、”○国で作ってないと駄目”とか、”○のブランドでないとイヤ”とか、気にする人は多い。”どこどこのあれあれ”という楽器を持ちたいということだろう。車で言うベンツやBMWのようなブランドは、確かに存在する。有名な演奏家が使っている楽器も羨望の的だ。ギターの場合はその材質も大変重要で、”この部分は○材で作らないと駄目”などとこだわる人が多い。これは確かに重要なポイントで、私にもそれなりのこだわりがある。私の場合は”音が良い”の次に”見た目が美しい”ことが重要で、ブランド性についてはどうでもよい。自分が好きか嫌いかで判断すればいいのだから。そんなの簡単だ。長年やっているので、楽器の質にはうるさいオヤジだと思う。自分なりの判断基準ももちろんしっかりと持っている。

 ギターはもともとスペインの民族楽器であり、ヨーロッパの製作家達は”音の良い楽器”を作ることに長けているように思う。伝統もあるしね。私は海外で長く暮らしたため、欧米人特有の”目的に向かって突き進む力”は理解しているつもりだ。楽器作りにおいても、それが発揮されているように思う。しかし同時に欧米人の”えー加減さ”は、私のような些事にこだわる人間には耐え難いもので、海外で仕事をしていた頃は、欧米人の”雑な仕事”に慣れるよう努力したものだ(もちろんきちんとした人たちもいる。国籍で全てを語るつもりはない。)。物差しが違うので仕方がない、どうしようもない。異文化に勝手に紛れ込んだ自分が悪いといえば悪いのだ。何が言いたいかというと、もう欧米で雑に作られた楽器は沢山だということだ。どんな有名な製作家が作った高価な楽器であっても、今はもう欲しくない。日本人がきめ細かい神経と職人技で作った美しい楽器を手に入れたいのだ。心は日の丸万歳なわけだ。何度か某国で手作りの楽器を購入したことがある。ある高価な楽器を購入した際、様々な問題が次第に明らかになり(力木のはがれ、塗装の問題、深い傷、指板の狂いなどなど)、結構頭にきた。修理は楽器屋の修理担当の気のいいオヤジさんの手に負えなかった。店から製作者に連絡して交渉したら、”自分たちに修理をさせて欲しい””結果を見て判断して欲しい”というので、やってもらった。しかし製作者たちは決して謝罪はしない。これはおそらく文化の問題だ。数週間待ったが、修理の結果は残念ながら全然駄目だった。それで”受け入れられない”旨伝えたところ、”作り直す”と言ってくれ、更に数ヶ月待った末に送られてきた楽器はほぼ完璧だった。楽器屋さんは、”こんな良心的な対応をする製作家は見たことも聞いたこともない”と話して驚いていた(製作家との交渉は店の仕事と思うが、まあ良い)。大変な思いをしたが、いい楽器を手に入れることができてうれしかった。しかし非常に疲れた。製作家に礼状を書き、”壊れるまでずっと弾き続けます、ありがとう”と伝え、それ以来、楽器を自分で作ったことはあったが、買ったことはない。その楽器だけを弾いてきた。しかしその楽器は国産ではない。死ぬ前に国産のよい楽器が欲しいのだ。

 日本人の求道的な姿勢や、美意識、職人芸などは本当に素晴らしい。現在一番脂が乗っているギター職人を誰かに教えてもらい、お金を払って仕事を丸投げして、音の良い美しい楽器を手に入れたいと考えた。人の推薦で、高級ギターを扱う都内のギターショップAを訪れた。なかなかフレンドリーな対応で、私に合いそうな楽器を何本か弾かせてくれた。今の私に合いそうな製作家Bの楽器と、将来長く付き合えそうな、お店で売り出し中の製作家Cの楽器が最終候補に残った。上記の様に、A以外にも数件のお店を訪れて、いろいろと教えて頂き、お礼にこまごまとした買い物をしたりした(私は義理堅い)。結局、”いま脂が乗っている”邦人製作家Cが作った、定価が数十万円の楽器を人生最後の楽器として買うことにした。この値段は、特別な木材を使わない国産の楽器としてはほぼ最高レベルの楽器の値段だ(特別な材料を要求すれば軽く100万を超える)。いいものが手に入るに違いない。幸せになるに違いない。購入を申し込んでみると、6ヶ月待たされるとのことであった。不安はあった。家族は止めろと言った。しかしお店Aを信頼し、半金を払い込み、6ヶ月間待つことにした。(to be continued)
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