SSブログ

上野 藪蕎麦  せいろう 大盛り 1080エン [日本蕎麦]

上野 藪蕎麦  せいろう 大盛り 1080エン

Ueno Yabu.jpg
藪御三家といえば、神田、浅草、それから池之端と覚えている。まごまごしているうちに池之端の藪はお店をたたんでしまわれた。悔やんでも悔やみきれない。江戸時代の伝統、というか“熱”のようなものの残滓を是非味わってみたかった。

残念だな、とくよくよしていたところ、ひょんなことから上野に藪があることを知った。どこからどのようにして暖簾分けしたのか、そんなことは気にせずにとにかく足を運んでみた。なんとアメ横の喧騒を離れたすぐそば、焼き鳥の煙が漂うような雑踏の中に小さなビルが佇んでいる。藪の行燈(といってよいのか)は、まさに神田の藪を思わせるような趣だ。若者がたくさん並んでいたが、席はたくさんあると聞いていたので待つことにした。

私はたいてい一人で蕎麦屋の暖簾をくぐるので、比較的はやく席に通されることが多い。幸いにして今回もそうだった。通されたのは、一階の蕎麦打ちを眺めながらお蕎麦を楽しめる二人用の小さなテーブルだった。まずは、と、供されたのはそば茶だ。やや出がらしではあったが、いかにもお蕎麦屋さんらしい、心温まるお茶だった。すぐにせいろうの大盛りをお願いした。神田の藪のように、“いらっしゃいーーーー”などのCallがないのは寂しいが、神田に比べて小体なこのお店であれをやられると頭が痛くなるかもしれない。

30代と思われる職人さんが、ガラスで仕切られた目の前の蕎麦打ち場で蕎麦を打つ、打つ、打つ。メガネをかけたクールな彼は、汗をかくでもなく、疲れた様子をするでもなく、とにかく淡々とお蕎麦を打っていた。なかなかの手際だと思った。

待ちかねたころにやってきたお蕎麦は、角盆に載せられている。まあるい蒸籠にそこそこの盛りだ。客に対して正しい向きにして(ざるが客から見て横向き)供された。小皿に生山葵とさらし葱。山葵はとても良いものだったが、葱は水にさらされすぎて薫りが飛んでしまっていた、ちょっと残念。蕎麦猪口には蕎麦ツユは満たされておらず、脇に小さな徳利が。これもちょっと残念だが蕎麦ツユはちょっぴりだけだ。我ながらうるさい客だ。しかし、文句はない。堂に入ったプレゼンだし。さてさて。

例によってお蕎麦を数本手繰る。ここのものは普通のお蕎麦の色をしており、星はあまり目立たない。クロレラの色だと言われている、緑っぽい感じは皆無だ。まずはお鼻にぺったりクンクン。おお、やや弱くはあるが、わずかなつなぎの薫りに負けない良質な穀物的なお蕎麦の薫りがする。これだ、これがほしかったんだオレは。お蕎麦は細め、エッジはいい感じに立っており、手繰ってみるとお蕎麦がながーーーーーーーい。ちょっと手繰りにくいかな?しかし手打ち手切りでこんなに長いお蕎麦ができるのだろうか?目の前でまさに打たれているお蕎麦は、私が口にしているものほど長くはないように思われる。あれは特別なの?謎は深まるばかりだ。まあいい、お蕎麦は美味しければいいのだ。しかしこのお蕎麦、しっかりと冷たい水、もしくは氷水できっちりと〆られており、歯切れものど越しも良好。後味も爽やかである。しかしすこし冷やしすぎ?温度をあげれば、もうすこしお蕎麦の薫りがたってくるのかもしれない。蕎麦ツユは、藪的な、それなりに辛いツユではあるが、ややまとまりに欠けるかな?わずかな苦みがあるのはいいように思うのだが。やはりお店が違うと味が違うんだなあ、当たり前だけれど。

ナルホド、大体分かった。並木ではやらないが、お蕎麦の半分くらい蕎麦ツユをくぐらせるのがいいと踏んだ。そのようにして”蕎麦時間”に没入し、あっという間に大盛りを手繰り終えた。大変結構でした、うん。やはりこれは老舗の味だ、と納得した。そのあとは、銅でできた小さめの急須に満たされた、ポタージュ系の別仕立ての蕎麦湯を満喫し、満足しきってお店を後にしたのであった。ご馳走さまでした。

このお店はつまみもおいしいということで、居酒屋の様にして使っている人も多いように見受けられたが、やはり私的には、お酒1-2本でお店を出るのが正しい使い方のように思われた。機会があったらまた伺いたいお店だ。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。