Kamakura 2017/12-1 [Kamakura]
Kamakura 2017/12-1
ということでまた鎌倉に。私にとってこの場所を訪れることは“命の洗濯“そのものだ。京都などもそぞろ歩いてはみたが、鎌倉の近くで生まれ育った私の場合は、他の場所ではどうも駄目なようだ。洗練されていないのがいい。規模が大きすぎないのがまたすごくいいのだ。
海沿いのお気に入り、光明寺の近くを通りがかったので、そそくさと拝観させていただいた。こんな素晴らしいお寺なのに、閑散としているのが信じられない。なので静かにお参りを。健サンのお墓にお参りして鎌倉アカデミアの碑に頭(こうべ)を垂れて。このお寺は宗教について難しいことを知らない私のようなものにとって敷居が低いのだが、背後にある歴史や物語はたいそう豊かだ。
これまで何度か、お寺の裏手にある空き地のようなところから、物凄い”気“のようなものを感じて足を運んだのだが、何も知らなかった私は(今も大して知らないが)、この場所を古(いにしえ)の”塔“の置き場のようなものだろうと思っていた。それにしては重々しい雰囲気が漂っているのは何故だろう、と、愚かにも思い込んでいたものだ。
それで今日も私は、招かれるようにしてそのあたりを歩き回った。すると内藤家の墓地であることを示す看板が目に入った。そうか、ここがそうなのか。愚かな私は、ここに至って初めて、ここがどのような意味を持つ場所であるのか、理解することができた。日向延岡の城主である内藤家代々のお墓であるならば、粗忽な私が強い”気“のようなものを感じたとしても不思議はないだろう。
その後憧れの和賀江嶋をついに実際に目にすることができ、
大満足した後にしつこくいつもの妙本寺を拝観、大満足して帰途に就いた。
今日もいい一日だった。
ということでまた鎌倉に。私にとってこの場所を訪れることは“命の洗濯“そのものだ。京都などもそぞろ歩いてはみたが、鎌倉の近くで生まれ育った私の場合は、他の場所ではどうも駄目なようだ。洗練されていないのがいい。規模が大きすぎないのがまたすごくいいのだ。
海沿いのお気に入り、光明寺の近くを通りがかったので、そそくさと拝観させていただいた。こんな素晴らしいお寺なのに、閑散としているのが信じられない。なので静かにお参りを。健サンのお墓にお参りして鎌倉アカデミアの碑に頭(こうべ)を垂れて。このお寺は宗教について難しいことを知らない私のようなものにとって敷居が低いのだが、背後にある歴史や物語はたいそう豊かだ。
これまで何度か、お寺の裏手にある空き地のようなところから、物凄い”気“のようなものを感じて足を運んだのだが、何も知らなかった私は(今も大して知らないが)、この場所を古(いにしえ)の”塔“の置き場のようなものだろうと思っていた。それにしては重々しい雰囲気が漂っているのは何故だろう、と、愚かにも思い込んでいたものだ。
それで今日も私は、招かれるようにしてそのあたりを歩き回った。すると内藤家の墓地であることを示す看板が目に入った。そうか、ここがそうなのか。愚かな私は、ここに至って初めて、ここがどのような意味を持つ場所であるのか、理解することができた。日向延岡の城主である内藤家代々のお墓であるならば、粗忽な私が強い”気“のようなものを感じたとしても不思議はないだろう。
その後憧れの和賀江嶋をついに実際に目にすることができ、
大満足した後にしつこくいつもの妙本寺を拝観、大満足して帰途に就いた。
今日もいい一日だった。
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