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“もの”としての“楽器”① [音楽]

“もの”としての“楽器”①


“もの”との付き合いは、最小限の気に入ったものだけと長く付き合うというようにやっていきたいのだが、内的な幼児性が全開となるためか、楽器のことだけはうまくやれない。おかしな物欲や内的な衝動に突き動かされて、ついついお財布のひもを緩めてしまうことを繰り返している。これで最後さいごと言いつつ、GASに操られてライブの予定もないのに楽器を売ったり買ったり、お恥ずかしい限りだ。

ホンダスーパーカブは機能を突き詰めてある種の美しさに到達した稀有な工業製品の一つだと思うのだが、こういったブランド性を排した機能だけを追求しつくした製品が好きだ。求める機能を限定して具体的な製品への落とし込みを突き詰めていくと、これ以上は詰めようがない、という状態に到達することがある。あるウェブサイトのマスターは、それを“結晶化”と呼ぶ。何の変哲もない外見の中に、数えきれないノウハウがつめこまれている。

いろいろな意見はあろうが、エレキの場合はテレがそれに近い存在だと思う。自分で一度でも楽器を組んでみれば同意してもらえると思うのだが、お手本がない状況でこんな完成度の高い楽器を創造してしまうのだからLeo Fenderは本当に天才なのかもしれない。それを基にして自分自身の“結晶化”した楽器を具現化するべくエレキ制作に手を染めてある程度の成果を出したと自負するが、人生の残り時間が少なくなりつつあるため演奏に特化すべく、制作活動を休止した。最終的に自分の理想に近い楽器をくみ上げることはできたのだが、いろいろあって実際の楽器は人に譲ってしまった。

最近そんな私の目に飛び込んできた楽器が、、、。もう一生弾いていくだけの楽器は持っているので新しい楽器は必要ないのだが、こうなると頭から離れない。四六時中その楽器のことを考えてしまう。決して高額な楽器ではなく、失礼な言い方だがブランド性なし、材の選択は定番で、パーツも実質本位の渋い選択。定評のある、しかし程よく値段がこなれた“枯れた”パーツを集めて上手に楽器をくみ上げてある。テレ固有の弱点は現実的でお金をかけない方法で全てつぶしてあるし、集めたパーツの持ち味を最大限生かすように細かい工夫がなされている。世の中にこんな楽器があるのなら、もう自分で楽器をアセンブルする必要はない、ありがたくお金を払わせていただいてポンと手に入れればいいのだ。幸いこのところ飲酒はほとんどしていないし、コロナのおかげでお小遣いがたまり気味でもある。いい歳をしても収まらない私のGASを笑わば笑え、冷静に見れば決して高級とは言えない楽器を、それもなんと通販でサンプルすることに決めた。カタログを広げて浮き上がるように目に飛び込んでくる楽器にはなかなか出会わないし、手にして外れたことはない。様々な付帯状況を鑑みて、試奏する必要はないと考えたのだ。さて、どうなることやら。

タグ:Telecaster
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