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原田マハ  ”楽園のカンヴァス” [Books]

原田マハ  ”楽園のカンヴァス”


何を隠そう私はいわゆる“本の虫”だ。暇さえあれば本を読んでいるのだが、その“暇”というやつが最近はなかなかない。それでもめげずに電車に乗る機会などを生かして活字の中で生きる至福の時間を過ごしている。現実逃避ともいうが。子供の頃にはできないことだったのだが、最近は気になる作家がいると手に入る限りの本を“大人買い”して、徹底的にその作者の本を読み尽くすことが多い。このやり方だと本から本に移るときの“準備期間”のようなものが少なく、本の世界に長く深く浸っていられるのがいい。程よい”ほろ酔い状態”が長く続くわけで、これを客観的に見ればいわゆる書字中毒というやつだろう。こういう読書を長く続けていると、本は驚くほどの速度でたまっていくことを、知っている人は知っている。まるで本が子供を産むように、加速度的に、というか等比級数的に増えていくのだ。それで本棚のみならず、壁際の床とか、廊下とかが本でうずもれ、生活空間が圧迫されることに相成る。部屋中が何となくかび臭くもなる。そうなることを嫌って倉庫を借りているのだが、いつ読み直すともしれぬ本をいつまでも女々しくとっておいても仕方がない。最近は、その作家の“エッセンス”のようなものが詰まっていると思われる一冊を残して、すべて人手に渡すことにしている。しかしその一冊を選ぶのは、当然だが楽しくも苦しい作業になる。

微かな記憶を頼りに書いているのだが、確か“カフーを待ちわびて”、という本がきっかけで、原田マハを読み始め、気に入って手に入る限り読破した。この人のストーリーテラーとしての力はなかなかのもので、本全体にある種独特な雰囲気が漂っているのもいい。いろいろと実験的な試みをしているようでもある。一通り読みつくし、この作家のエッセンスとして私が最後に選んだのは”楽園のカンヴァス”だ。原田マハはもともと美術に造詣の深い人で、作家になる前に独自の内的世界を持っていた人のようだ。得意とする領域の中で、作家として腕を振るっているのがいい。今回久しぶりに読み直してみたのだが、ちょっと洗練度が足りないような気もしたし、内容が少し子供っぽいような印象も失礼ながら受けてしまった。しかし読ませる力はやはりかなりのもので、あっという間に読み終えてしまい、久しぶりに楽しい時間を過ごすことができた。読後感の変化は、私自身の内的な成長を反映しているものだと思いたい。
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開高 健 “輝ける闇” [Books]

開高 健 “輝ける闇”


この人の本は一冊たりとも捨てられない。地べたを汗だくになって這い回っているようなこの人の文章がとても好きだった。中学生のころからこの人の本に親しんでいる。しかしずいぶん長い間読み返すことをしていない。なんだか読み返すのが怖いというか。立派な全集も出たようだが、途中まで買ったところで追いかけるのをやめてしまった。最近はKindle版を売っているようなので、手に入れるべきかどうか迷っている。先輩筋にあたる完全に書毒にやられてしまっている方までがKindleを購入されたというので(外国の文献が廉価に入手できるとのこと)、私もそろそろ重い腰を上げて手に入れてみるかな、などとも考えるのだがどうにも気が進まない。やっぱり私にとっての読書は、未だに紙の束を手に持ってするものなのだ。

ともあれ、“輝ける闇”だ。全てを理解しないままにこの本の持つ独特の雰囲気に惹かれて何度も読み返したものだ。旅先で突然読みたくなったりするため、同じ本を少なくとも3-4回は購入している。自分にとってはこの本が開高 健の“エッセンス”だ。作家が亡くなったのちにこの本と関連が深い未完の本を出版されたように記憶しているが、完成されたものを読みたかったなあ。茅ヶ崎の開高 健記念館にもご縁がなくってなかなか足を運べない。何とかしたいものだ

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青山 川上庵  せいろ 993エン [日本蕎麦]

青山 川上庵  せいろ 993エン

所要があって青山に何度か足を運んでいる。このあたりは言うまでもないことだが特別感のあるおしゃれなところだ。しかし大通りをちょっとだけ裏の方に入れば、昔ながらの町並みが結構残されていることに驚かされる。そんな一角にあるお蕎麦屋さんのひとつがここ、川上庵だ。真夏日だったのでとっととお店を探し当てて、どんどん中に入れてもらう。でないと干からびちゃうからね。

ここはよくあるカフェのようなお蕎麦屋さんで、BGMはお約束の古めのJazzだ。本店は軽井沢で、ここは支店の一つである由。嫌いではないのだが、そういったところに集まるお客さんとはあまり親和性を感じないので困ってしまう。しかし本日は某C国のお年を召されたご家族が入店し、静かな雰囲気を変えて?くれたので、割と居心地がよかった。しかし店内のメンテや清掃のレベルは、呑み屋ならいいけれどお蕎麦屋さんとしてはいただけないかな、と清潔病の私は感じたのであった。うん。

珍しく時間に余裕があったため、だし巻き卵でちょっとだけ呑ませてもらった。ここのだし巻き卵は大きいので、おなかが空いている人にお勧めだ。おそらく他のお店の3人前はあるだろう。お蕎麦屋さんの卵焼きらしく、全体に和風でしっとり、大根おろしも添えられていて好印象。ついお酒をおかわりしてしまうではないか。あまり呑むとお蕎麦の味わいが分からなくなってしまうのできりのいいところでお蕎麦をお願いした。せいろの大盛りをお願いすると、せいろ+追加せいろという形で供されるようで、993+540エンということになった。ナルホド。

供されたお蕎麦は四角いせいろに乗せられており、蕎麦ツユは既に蕎麦猪口に。小皿には大根おろし、生山葵、分葱が添えられている。薬味はいつものようにお酒と一緒においしくいただいたが、それぞれきちんと調理されており、満足のいくできばえだ。特に薫り高く甘みを感じさせる生山葵が良かった。お蕎麦は一見して二八、少しだけ幅広でエッジが立っているやや太めのしつらえ。打ち立て茹でたてなのは間違いない。表面は僅かに透明で美しく輝き、不規則な星が中等量パラパラと飾られている。数本手繰ってみると、ややぽきぽきする予想通りの歯触り。奥歯でかみしめるとあまりもちもち感はなく、ゆっくりと喉を適度にひっかきながら胃の腑に落ちていく。お蕎麦特有の穀物の甘い薫りはそれなりに漂わせつつも、つなぎ感はあまり感じさせない。なかなかいいではないですか。手打ちかどうかはチト自信がないが、まあ間違いなく手切りだろうと思わせるお蕎麦だ。お蕎麦自体も丁寧に調理されているといっていいだろう。それでは蕎麦ツユは、、、と。残念ながらあまり印象に残らない蕎麦ツユであり、基準にしている神田まつやと比べると甘さ、醤油感ともに薄めであるが、カツヲ成分が出しゃばらないためか、全体としてのまとまりは悪くない。しかしお蕎麦に完全に負けてしまっているので、格好悪いがお蕎麦の半分以上を蕎麦ツユにくぐらせることに決めて、海に飛び込むような気分で蕎麦時間に突入した。久しぶりのお酒にすっかりリラックスした私は、供された追加のお蕎麦もワシワシと手繰りあげ、濃厚な蕎麦時間を楽しんだのであった。蕎麦湯は湯桶で供されたが、やや薄めの、茹で湯に近いものであった。それはそれで大変結構。今日はどうもご馳走様でした。

調理場の中からはなんだか職人的な雰囲気が伝わってきて好ましかったのだが、私が伺った際のお店は、中年男性が若い男性に教えながら切り回しており、やっぱりどうも都会のカフェのような、居酒屋のような、ちょっと不思議な雰囲気を漂わせていた。やっぱり自分はあまりおしゃれではないお蕎麦屋さんが好きかな、と再確認した一日だった。ごちそうさまでした。

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結晶化したもの⑤    エレキギター Fender Telecaster [雑文]

結晶化したもの⑤    エレキギター Fender Telecaster

エレキギターとのお付き合いはとても長い。もう40年に喃々としている。私が手に入れた初めてのエレキギターは、ESP 製、Navigator ブランドのテレキャスターだった。こいつは普通のテレであり、もう人手に渡ってしまったので記憶に頼って書くしかないが、ゴトー製のペグ、当時はやっていたブラスナット、ローズ指板、アッシュではなく日本のメーカーが好んで採用するセンでできたワンピースボディ、PUはフロントもリヤもESPのオリジナルの出力の低いもの、ブリッジは3Pではなく6Pの独立した駒を持ち、プレートは厚手のブラスで作られたものだった。これを買ったのは今から思えば正解だったのだが、使いこなすのが非常に難しい、じゃじゃ馬のようなギターだった。こいつを無理をして買ったJagg Boxにつないで毎日飽きるほど弾き倒したので、フレットはすぐにぼこぼこに減ってしまった。そのうちにギターの改造に興味を持った私は、リヤのPUをダンカンのビンテージタイプのものに交換したりして悦に入ったものだった。自由になるお金があまりなかった当時は、こいつでKISSからなにから、なんでも弾いていたものだ。レスポールのようなゴージャスな楽器と違い、誰でも弦をピックで弾けばそれなりの音になるわけではないので、まともな音が出せるようになるまでずいぶん時間がかかったように記憶している。よく言われているように、Telecasterはおそらく最もフォークギターに近いエレキであり、サスティンが乏しく、PUは必要以上にトレブリー、パワーはない割におかしな具合に敏感で両手の動きを音として拾ってしまうため、弾き手が両手で作り出す音がそれなりに安定していないと、聞く気になるような音を出すことができないのだ。弾いてみればすぐにわかる。だからといって弾きづらいこの楽器を手なずけるために、トーンを絞って音を丸くしたりすると、楽器本来の魅力である生々しい音が完全にスポイルされてしまう。痛しかゆしといったところだ。だから私は初心者の使う楽器としては、Telecasterはお勧めしない。エレキとしては最小限の機能しか持たないこの楽器だが、それゆえに使い方、もしくは使われ方の自由度は驚くほど大きく、ある程度の腕さえあれば、Tele一本でCountryのみならず、RockであろうがBluesであろうが、多少無理をすればJazzであろうが何とかなってしまう。さすがにヘビメタは無理だと思うが。こいつを使っていると、何ともダサいバナナのような形をしたヘッドや、洗濯板のようなボディがだんだん美しく見えてくるから不思議だ。いろんな意見はあるだろうが、エレキに関していえば初めて作られたエレキであるFender Telecasterが今でも最高の楽器の一つであることは間違いない。少なくとも私自身はそう確信している。

ともあれ、最初のエレキがTeleであったことで、その後の私の音楽人生はかなり偏ったものになってしまった。そのことを後悔はしていない。私の部屋を見渡してみると、沢山の楽器がそこここに転がっているのだが、今でも手元に残っている全てのソリッドエレキは気づいてみればTeleばかりである。

タグ:Fender Telecaster
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徒然FD2 2018/7-1 Bride のフルバケ [クルマ]

徒然FD2 2018/7-1 Bride のフルバケ

いろいろあって腰痛対策にこのところBrideのフルバケを使っている。真っ黒い機能優先のシートにすることに決めたので、飾りらしい飾りは一切付けなかった。赤いステッチなんかがあるとType Rらしくてかわいいんだけれど、それもあきらめてただただ真っ黒なやつを使っている。いつもお世話になっているメカ氏の言うとおり、こいつのおかげでずいぶん腰が楽をさせてもらっている。

しかしフルバケに慣れるにつれて、こいつの設置角度が気にいらなくなってきた。メカ氏お勧めの標準的な角度では膝のサポートが足りないかな、と思って一段寝かせてもらって使っていたのだが、最近だんだん背中がつらくなってきのだ。それで背中をシートから離して運転することが多くなってきた。これでは何のためのフルバケかわからない。なのでシートの角度を一段階起こしてみることにした。やはり最初からメカ氏のお勧めに従っておけばよかったのだ。プロのいうことはやはり聞いておく方がいいのだ。しかしまあやってしまったことは仕方がない。しばらく乗ってみてようやく角度が不適切であったことが分かったのだから。何事も経験だ。

しげしげとかんさつしてみると、5ミリのアーレンキー、つまり六角ボルトで回すことのできる、あまり強そうではないなんだか柔らかそうに見えるボルト4本で私のフルバケは固定されている。このボルトの強度は、おそらく何らかの計算に基づいて設定されているものと思われる。たとえば事故の時にボルトが折れてドライバーが助かる確率を上げるとか。だから高級には見えない、弱々しいメッキが剥げかけたオリジナルのボルトをそのまま使うことにした。運転方向右側の2本のボルトはスペースが十分にあるので簡単に外すことができたのだが、左側、特に後ろ側のボルトはパズルを解くようにして外さないとだめで、外すまでにずいぶん時間がかかった。椅子を前にしたり後ろにずらしたりして、何とか仕事をやり遂げた。しかしフルバケの前側を下げることでシートの角度を変えたため、座ってみると椅子をスライドさせるためのレバーとフルバケ自体が干渉してしまい、スライド機能が全く使えなくなってしまった。フルバケ自体は限界まで下がって、座ってみた眺めはなかなかいい感じだったのだが、やはりスライド機能をあきらめるわけにはいかない。それで今度はフルバケの前側をもとの高さに戻し、後ろ側のボルトを一段階上にあげることでフルバケの背を起こすことにした。狭い空間でクルマを痛めないよう気を遣いながら作業をしたため、体中汗だくになり、いたるところにシートレールのグリスがこびりついてしまった。作業はお恥ずかしいことに1時間では終わらなかった。ああ、疲れたでしょう。

しかし結果は上々であり、軽く座ってみるとシートが軽く背中を押しだしてくれるようなセッティングになって、なんというかいい感じだ。背中が楽だ。頸から腰にかけて全体がシートにぴったりと接触し、点ではなく面で背中がサポートされていることを実感できる。一方でひざ下のサポートはなんだか頼りない感じになってしまったが、慣れることができなければ、クッションを厚くしてポジションを合わせればいいのだと思う。しかしこれくらいなら乗っていれば慣れてしまうかもしれないな。しばらくこのまま乗ってみよう。そうしよう。明日のドライブが楽しみだ。

フルバケの角度調節なんて簡単だ、と私は思い込んでいたのだが、やると見るとでは大違いであった。これはお金を取れる仕事だと思う。ということで、結構手間暇がかかる作業を自分でやり遂げることはできたが、どんな作業でもにっこり軽々とやってのける、メカ氏に対する感謝と尊敬の念が強まった今日この頃なのである。しかし自分で作業するとクルマに対する愛情が深まるなあ。いいこといいこと。

どうでもいいことなのだが、Brideはどうしてブリッドと発音させるのだろう。コノ字面を見ると、どうしてもブライドと発音したくなる。ちょっとストレスだ。理由を知っている識者の方、教えていただけると幸いだ。

タグ:FD2 BRIDE
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