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徒然 Mazda2 2022/1-1 アメ車を購入すべきかどうか [クルマ]

徒然 Mazda2 2022/1-1 アメ車を購入すべきかどうか


これを書き収めにしようとしていたのだが、文章がまとまらずに書初めになってしまった。まあ私の人生はこんなのものでいつだって行き当たりばったりだ。

どこかに書いた気がするのだが、キャリアが長いプロドライバーの方がおっしゃるには、外車に長く乗るのであれば、イタフラは問題外、ドイツ車は意外とダメ、やっぱりアメ車が一番ということであった。通常の整備をして、換えるものをかえつつ日常的にそれなりの距離を走っていれば30万㌔は軽くいけるとのこと。この方の言葉には重みがある。しかしそれなら大好きな私の母国、日本でアメ車を手に入れることを考えるかというと、今のところ答えはNoだ。アメ車は好物なのだが。


私がはじめて北米大陸に上陸したとき、大陸全てがN.Y.になったような延々と続く大都会なのだろうと漠然と考えていた。しかしそれはとんでもない間違いだった。我ながら恥ずかしい。私はそれまでに遊びで北米大陸を訪れたことはなく、初めての訪問は結構シリアスな仕事の上でのことだった。北米の文化はコーラとハンバーガーを超えてある程度は知っているつもりでいたし、現地人の友人などもいたのだが、当時の私はリアルな米国のことはほとんどまったく知らなかったと言ってよいだろう。印象として日本との類似点が多いように感じていたが、実際に長期間住んでみると中身は驚くほど違っているのだ。当時はそれを知らず、現地で少しずつ、ショックを伴った気付きを得たのだった。さて、クルマの話だ。


西海岸には複数の大きな都市があり、米国が始まった場所である東海岸にも当然大都市がある。中西部にはシカゴをはじめとする大きな都市が幾つかあり、いまだ詳細は知らぬが南部にもやはり大きな都市が数々あるらしい。米国滞在中に南部にも行ってみたかったのだが、じつは現地の後輩(白人女子)に“アジア系は正直歓迎されないこともあるから、行かないほうがいいかも”と真剣な忠告を個人的に受けたことがあり、Orientalである私は身の危険を感じて逃げてしまったのだ。笑いたければわらってくれ。でも現地では5000円で買えてしまう鉄砲はやっぱり怖いからね。ともあれ、実際にそういった大都市の間のどこか見捨てられたような小さくまとまった街に住んでみて、北米大陸は、大きな都市以外はほとんどの場所が荒野なのだという事を実感を持って知ったのだった。だって野生のバッファローとか現代でも生活しているんだよ大きな群れを作って。野生のでっかい鹿だってなにを食べているのか知らないけれどけっこう自由に沢山自活しているし(高速道路で挽かれているのを見ると悲しい気持ちになる)、街中にいるプリッとしたお尻の可愛いリスなんかはいろんなところをかじり倒すので“公害”と呼ばれていた。かわいいリスを”公害”だよ?リス料理専門店なんていうのもあったよ!いったことないけど。びっくりしたよそれは。また、慣れると自分でも見えるようになる、群れを作って野原でまったりしている七面鳥だって、街からほど近い荒野で自活している。終わりがないのでこれくらいにするが、とにかく、自分自身も街中にいないときは動物たちと同じ、つまり荒野に一人ぼっちという事なので、文字通り自分で自分や家族を守る必要があることをひしひしと肌で感じた。というわけで、ここで話はようやくクルマのことにもどるのだが、クルマを選ぶときに最も重視したのはまず信頼性で、次に経済性、そして最後に安全性だった。クルマは自分を守ってくれる”鎧”でもあるし、荒野を安全に渡りきるための”馬車”でもあるからだ。

米国ではメキシコで作られたVWが結構安かったし、それ以外のヨーロッパ系のクルマも日本で買うより割安だったと思う。地元米国のクルマはかなりお値打ちだったのだが、当時私が住んでいた地域ではあまり人気がなかった。大型のキャビンが付いたトラックも、本場物の米国製より日本製が人気だったように思う。アメ車の独壇場であるはずなのだが。私のお隣さんもToyotaのびっくりするように大きなトラックに乗っていたっけ。でも日本じゃとても置くとこないと思った。まあ、それでもアメ車があきらめられない私はレンタカーを借りて走り込んでみたりしたのだが、結論として、かの地のクルマを買うのは、いろいろ余裕ができるまで待った方がいいかも、と思うにいたった。最初に試したのはFordの小型車だったと思うのだが、作りは悪いががっちりと頑丈で、壊れても自分で修理できそうなので真剣に買ってみようかと思った。郷に入っては郷に従え、米国じゃあアメ車に乗らないとね、というわけだ。ホントはそういう選択をしたかった。それで実際ほとんど買いそうになったのだが、ある時、街はずれで思い切りアクセルを踏みこんでみたことがあり、その時、目に見えるほどの勢いでみるみる燃料が減っていったのですっかりびびってしまった。また、やはりFord製の人気がある中型車、まったりと走るためのステーションワゴンを借りて乗ってみたところ、警察の点数稼ぎと思われる検問に引っかかってしまい、罰金を取られた。これがきっかけとなり、Fordのクルマはどうも自分とは相性が悪いと、泣くなくあきらめることにした。まあしかたがない。上記のプロドライバーはシェビーのファンだと言っていたが、わたしはアメ車の中ではやっぱりFordが好きだ。だからFordをあきらめるという事は、私にとってはアメ車をあきらめるという事になる。その後購入を考えたドイツ車などのヨーロッパ系の輸入車は現地で修理してくれるところが限られているらしく、アクセスが悪く値段も安くない、修理に時間がかかるし上手に直せるメカニックはあまりいないなどと、現地で知り合った親しい人たちに注意された。それでこちらも泣くなくあきらめた。家人も“外車”にのることを不安がっていたことだししかたがない。結局クルマで楽しむことはあきらめざるをえず、米国ではクルマを実用品と割り切るしかなさそうだと腹を決めた。少なくとも自分にとってはそうだった。これはかなり悲しい決断だった。読み返すと、何度も何度も“あきらめた”と書いている。我ながら本当に悲しかったのだと思う。

実用性を最大限に重視して信頼性の高いクルマを買おうとすると、結局日本車を買うことになってしまう。やはり客観的にみると日本車は抜きんでて優秀なのだ。せめてあまり数が出ていない、いままで所有したことのないSubaruを手に入れようとディーラーに行ってみたのだが、割とマイナーな存在であることと、私の職場から一番近いディーラーに相談に行ったところ、近くに巣を作っているらしいなんか鷲か鷹のような鳥が上空からマジで私を攻撃してきたので、悪夢を見ているような気分になってSubaruを“あきらめて”しまった。その店では4WDつながりでAudiも扱っており、こいつにも興味を持っていたのだが、やはり鳥に頭をつつかれるのは嫌だしなんかそこに行ってもどうにもくつろげないのでやめてしまった。また“あきらめて”しまったわけだ。残された選択肢は日本車になるわけだが、今は大好物になっているマツダ、スズキは当時は選択肢に入らず、ダイハツは当時北米に販売網を持っていなかったので候補にも上らず、最後に残ったのが慣れ親しんだ日本車であるトヨタか日産という事になった。日産がいいクルマを作るのは分かっているが、現地のクルマはデザインがやや大味で現地生産が多いのでパスした。米国で作っている日本車には私自身全く興味がない。現地に合わせた面白いクルマももちろんあるようには思うのだが、私的には日本車は日本人が作ったものでないとだめなのだ。おそらく世界の多くの人たちもそう思っているだろう。日本のクルマは真面目で強迫的で細かい、少なくともそう信じられている、日本人が作っているから信頼性が高いのだ。偏見かもしれないがあながち誤りではないだろう。まあ、それで日本で作って北米大陸まで輸送しているというモデルをわざわざ選び、店頭できっちりとそれを確認して、最終的には近くの大きな街から取り寄せる形でトヨタを買った。小さくて経済的な小型車に見るからに外人とわかるような私のような男が乗っていると、格好の取り締まりの標的にされるのだ、ということを親しくなった警察官の奥さんに教えてもらったので、アドバイスに従って小型車は避け、中型のSUVを買うことにした。当然ピカピカの新車だ。米国では新車を買うことは“stupid”と言われることが多いのだが、どこの誰がどんなふうに扱っていたのかわからない命を乗せる乗り物に家族を乗せるのはやはり怖いと思うのだ。値段はそこそこしたのだが、それにはとりあえず目をつぶり、もっとも信頼性が高いと思われるカムリと同じ2.4リットルの小さめのエンジンを積んだモデルをあえて選んだ。すべてがトヨタの“枯れた技術”で作られているクルマで、トヨタのクルマの中でも特に信頼性が高い一台だと評価して選んだ。残念ながらマニュアルシフトの設定はなく、確かOD付の4速オートマという渋い設定で、北米のまっすぐな道であれば30万㌔くらいは軽々と走れるのではないだろうか?と期待した。青いメタリック塗装のごく日本的なモデルだった。結局シフトレバーを操る楽しみも“あきらめた”ことになる。

これは期待したとおり信頼性の高いクルマであり、私と家人を何年もいろいろなところに運び、仕事を助けてくれ、休日を楽しいものにしてくれた。以前に小型車に乗っていたころは上記したように何度か警察の点数稼ぎの餌食になっていたものだが、このクルマに代えて、必ず家人を乗せてカップルで行動することを心掛け、簡易なものであってもジャケットを着用してネクタイなどもするようになってからは警察官の態度ががらりと変わり、一度などはSpeedingで捕まった際に見逃してくれたことさえあった。まともな人間だと認識してくれたのだろう。このころ、時間が余ってすることがないとよくドライブをしたものだったが、Highwayを走っていると道端にクルマが壊れて止まっていることが珍しくなかった。これは車の信頼性をある程度反映しているように思うのだが、壊れて止まっているクルマは地のクルマ、とくにトラックが多い印象だった(当時、トラックを乗用車として使う人が多かった)。一方の我らが日本車が“えんこ”していることは10年前後の米国暮らしで、一度も目にすることがなかったと思う。クルマのメーカーを国籍でまとめて評価することはやはり不適切だとは思うが、米国在住中に、やはり日本車が世界で最も信頼性が高いようだ、と深くふかく心に刷り込まれてしまった。


思い出が次々と湧いてきて言いたいことがたくさんありすぎるので、話がまとまらず、長たらしくなってしまったが、米国に住む日本人であった自分は、やはり慣れ親しんでいる信頼性が高い日本車を買うのが最良の選択であった。現在日本で暮らしている私は、いつ車が壊れても困らないような、余裕がある生活が手に入ったらアメ車を買ってもいいかな、と考えている、というおはなしだった。それまでは、日本に住み続ける限りやはり日本車か、冒険をしても定番のドイツ車か、ということになる、つまらない選択だな、どうも。おそまつ。

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2022/1/7  信じられない [雑文]

2022/1/7  信じられない


大都市の機能はそこそこの雪で失われてしまい、路上は雪に覆われていたためクルマを職場において帰宅するしかない。大きなターミナル駅、深々と冷え込むホームで列を作って電車を待った。電車のダイヤは大きく乱れ、われわれ帰宅を急ぐ社会人は憂鬱な気持で長い長い列を作っていた待ったわけだ。腰をやってしまった私は冷え切った体をストレッチしながら温め、痛みと闘いながら列に加わった。ああ、はやくこないかなあ、、、え?50分遅延?短い電車なのに遠方に行先変更?他所のホームから我々のいる場所を目指して人がどんどん走り込んでくる。乗車をまつ人の列はさらに長くなり、まあざっと見て一つのドアに30-40人くらいは並んでいる。それがさらに伸びていって、、、。なんか絶望的な気持になる。例の大きな地震の時にJRが速攻で駅を締めたため(忘れないぞJR許さないぞJR)私鉄の駅まで歩いて長い列に並んで混雑した電車に体をねじ込んだことを思い出したりした。あの晩もつらかったなあ、よく歩いたなあ。そうこうするうちに一台列車を見送った私は幸い列の先頭に立つことができ、まあ座る必要もないのだが席を取るつもりでいた。あまりに寒いのでちょっとだけ日本酒をなめたのは秘密だ。足の調子も悪いことだし、疲れているし、もう爺なので許してほしい。並んでいたのは大きな柱の陰の立ち止まりにくい場所だったのだが、腰を揉みながら腰痛に耐えていたところ、私と私の次に並んだ人との間の隙間に白いコートで着ぶくれた若い女がするりと潜り込んだ。私の体の陰に隠れるようにしてよこはいりをしたのでそれに気付かない人もいたし、それをにらみつけるようにしていた女性もいた。私の後ろの人は何も言わなかった。私はアタマの後ろの方で気配を感じたので、信じられない気持ちで女の顔をまじまじと見つめた。20代の若い女で、マスクはしているがけっこう可愛い。身ぎれいにしており、おしゃれで、まっしろいコートには汚れひとつついていない。目線があっても悪びれない。この女、こういったことを繰り返して生きてきたんだろう、おそらく。分かってやっているのは間違いない。よこはいり、しかも40人抜きの荒業だ。すでにむかつきで血圧が上がってしまった私は、くるりと後ろを向いて、”ねーちゃん、うすぎたねえまねはやめなよ”と言いたかった。言おうと思った、というかそうするべきだったのだろう。大げさだが日本の将来のためにも。誰か文句言ってくれないかな、とも思ったが、誰も何も言わなかった。大柄で背が高い40代くらいの女性が、ものすごい目つきでにらんでいるだけで、私の後ろの女はそっぽを向いて完全にシカトだ。くそ頭にくる馬鹿アマだ。自分の柄が悪くなっていくことを自覚するが怒りがさらに膨張してどうしようもない、、、。しかし、結局のところ、疲れ切って寒さに耐えきれなくなっており、面倒を避けたかった私は、情けないことに何もしなかった。笑ってくれ。それでホームに滑り込んできた電車にゆっくりと乗り込み、座席を確保して一息ついた。それでも女が私より前に列車に乗り込むことだけはブロックしたつもりだ。ほろ苦い自責の念がこみ上げる。あーあ、オレは規則を守るいい日本人ではあるのだが、保守的で声を上げないSilentな情けない日本人の一人なんだな、と、しみじみと感じられて、なんか本当にがっかりしてしまった。女にも、周りの人にもがっかりしたが、一番がっかりしたのは自分自身に対して、だ。そして目の端に入ってきた女は(引き続き失礼な記載を続けるが許してほしい)、しれっとして席に座ろうとしている、、、。



、、、。




、、、。





、、、。




とその時、女をグイっと押しのけて、席を取り上げて座り込んだ40代のサラリーマンがいた。素晴らしい!そうだよそうなんだよ、それがただしいんだよリーマン!リーマンありがとう!ほんとにそのひとがリーマンなのかどうかは神のみぞ知るだが、まあそんなことはどうでもいい。そのリーマンはその晩のヒーローであり、私の心を救ってくれたのだ。女は一瞬不愉快そうな顔をしたが、すぐにあきらめてドアの脇に立つことにしたようだ。多少なりとも罪悪感のようなものがあるのかもしれない。そうだそれでいい。それでも女が立った場所は比較的いいポジションで、本来並ぶべきだった列の後ろから列車に入れば、ぎゅうぎゅう詰めの圧がかかるドアの直前に立つことになったはずだ。長年混雑した電車で通勤通学すればだれでもわかることだ。女をちらりと観察したが、しれっとしており、周囲の乗客や私自身とも目線があったが澄ました態度を取り続けていた。大した神経だねえ。

少しずつ私の心から怒りの感情が抜け落ち、心の“こぶし”が解きほぐされていったが、その代わりに反省のほろ苦い思いに満たされた。こんなくだらないことでほんと情けない。規則を守り、他者への配慮を忘れないという、私が大好きな、素晴らしい日本の文化を守るために、こういったふざけたことをする女を叱責すべきであったのだろう、たとえなんらかの問題に巻き込まれることになっても。世代的に、私は世間のご意見番のような機能を果たしていくべきなのだろう、たとえ見知らぬ人たちに嫌われるにしても。

ああ、寒いし疲れるし、むかつくし、しんどい夜だったでしょう。


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2022/1/8   Taxiで [雑文]

2022/1/8   Taxiで


私は仕事で大変忙しかった。それでやってしまったのだ、小銭を持たずにTaxiに乗り料金を一万円札で払うという愚行を。これは私がわるい。Taxiは銀行ではないからね。運転手さんが嫌味の一つも言いたくなるのはわかるし、それは受け入れて謝らないといけないと思う。ともあれ、数日前にTaxiを利用してたいへん貴重な体験をしたので報告したい。これを読んでくださる方と情報を共有できれば、私の心が多少なりともなぐさめられるかもしれない。つまり嫌な体験だったのだ。


あれはとても寒い日の夕方だった。午後に外勤が入っていた私は、いつもなら30分ほど散歩を楽しみながら職場に赴くのだが、その日は超多忙で、ぎりぎりまで午前中の仕事をこなして時間を稼ぐためTaxiで外勤先に。そこでも契約時間を超えて働きまくって、まあ勤務時間を増やしても給料は増えないのでサービス残業なのだが、ヘロヘロになった状態でいつもの勤務場所に戻ることになった。戻ればまた仕事が待っている。なので、出先で少し考えて帰りもTaxiを使うことにした。往復Taxiなどという贅沢をしていると外勤分の給料が飛んでしまうのだが、もともとボランティアのような仕事なのでまあしかたがない。少なくとも赤字にはならないからね。体調がすぐれないので冷たい空気を避けたいという情けない考えもなかったわけではない。それで路上でタクシーを拾い、職場に戻った。運転はちょっと雑で怖かったが、これといって問題になるようなことはない。ボーっ路上の景色を楽しんで、職場にご帰還だ。やれやれ。


料金は800エンであったのだが(個別性を薄めるため実際の料金ではない)、クルマを降りるあたりからなんだかおかしな雰囲気が漂っていた。職場に面する道から職場の内部まで道が伸びており、玄関前には広めの車寄せもあるのだが、運転手さんがそちらまで行きたがらないのだ。走りずらいわけではなく、クルマが停めにくいわけでもない。どうして? 路上で下ろされると歩道はないし、道路の交通量はかなりのもので危険だし、運悪く雨は降りだしていたし、いいことは何もない。それで、きっちりとクルマ寄せの屋根があるところまで行ってくれるように強くお願いし、屋根の下でクルマを降りようとした。心は残務のことでいっぱいで、すでに焦り始めていたと思う。あれもこれもやらないとね、と。仕事の段取りを頭の中でつけながら、あわただしく、小銭がなく申し訳ない、迷惑をかける、と一応事前に、しかも丁寧にあやまって、おずおずと一万円を差し出した。運転手さんは舌打ちをするわけではなく、平然と千円札をいろいろなところから集め始めた。怒ってはおられないようなので安心した。たまに怒鳴りだす人もいるからねえ。彼は制服のチョッキのポケット、ワイシャツの胸のポケット、クルマに乗せた小銭を入れた箱のようなもの、、、いろいろなところを探し回り、ようやく必要な千円札を集めてくれたようだ。それで畳んだりしわになったりしたりした千円札の束をパサリと支払い用のトレイに放り投げた。“はいはい”、といってお金を受け取ったのだが、どうも様子がおかしい。数えてみると8枚しかない、つまり8000エンだ。もう一度数えると、、、やはり8枚、さらに確認するとやはり8枚。この辺で運ちゃん(失礼だがこう呼ばせていただく)はついに、“あー、お客さん。8千円だよそれ、8千円しかないでしょ”といって千円札を一枚投げてよこした。当然謝罪はない。確信犯なのかもしれない。しかしまあ、きちんとお釣りをもらえれば何の問題もないので、考えるのを止めて小銭をまった。しかし運ちゃんはそのまま私を下ろそうとする。いや、ちょっとまて、小銭はどうした?それで “200エンは?” といったら、今度ははっきり “ちっ” と舌を鳴らして小銭を投げてきた。当然小銭は足元に転がるわけで、車内は暗くどこにあるかわからない。運ちゃんはうんともすんとも言わないので、私が小銭を探すしかない。しかし車内は暗く、足元が何も見えない。それで車内の明かりをつけるように言ったところ、“そんなのないよ”という。この辺で私は彼が一万円で支払いを済ませようとした私におそらく嫌がらせをしているのだろうと考えて、彼をぐっとにらみつけた。200エン彼に差し上げる必要があるだろうか? ないだろう。それで “200エン?” といったら、暫く経ってからようやく彼はトレーの上に200円をもう一度投げてよこした。この辺で私はアタマに血が上り、目の前が真っ暗になった。多分私の顔はゆでだこのように真っ赤になっていたはずだ。さあどうしようか?怒鳴りつけて差し上げようか?タクシー会社に報告してやろうか?、、、。この間10秒もなかったろうと思う。しかし私は結局“ああ、どうもおせわさまね。”と何もなかったような顔をしてしれっとTaxiをおりることにして、実際そうした。運ちゃんにはそんなふうにしたくなる理由はあるだろう。それはわかる。私のような客が何人も続いたら、すぐに千円札がなくなってしまうだろうから。彼が怒るのはある程度仕方がないと思う。しかしお札と小銭とダブルパンチでこうやって失礼を働くのはどうなんだろう。私としても自分の失敗を恥じており、少なくとも事前に謝ってからお支払いをさせていただいているわけだ。支払いの小銭を用意していないという、まあ、私はマナーを守らない無粋な客であることは認めようと思う。彼に嫌味を言われても仕方がない。その辺で小銭を作ってきてくれと言われれば、快く受け入れるし、実際そうしたこともある。そうではあるが、今回のように、こんなことまでやっていいものか。私の心は “否” という。やはりTaxi会社に電話くらいはした方が良かったのかもしれない、彼はどこかでまた同じようなことをするだろうから。

この間、電車で出会った困ったちゃんに何も言わない自分を反省したばかりなのだが、この日もまた、ほろ苦い気分になってしまった。やっぱダメだねオレは。もっと背筋を伸ばしてビシッとやっていかないと。当日はとても寒かったし、雨も降っていたし、仕事は忙しかったし、私は疲れていたのは事実だけれど。なんか働くだけ働いて、疲れて悲しくなるだけという、切ない一日だった。しかしそれでも私はもうしばらく、公共のために尽くすような仕事を続けていこうと思う、うん。

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2022-01-09

本日の皇居 2022_1_9


Koukyo.jpg













坐骨神経痛のリハビリのため久しぶりに皇居に。寒くて路上にはまだ雪が残っている。それでもやはりランナーたちはマスクもせずに我が物顔で歩道を独占していた。何とかならないものか、まあならないだろうな。皇居を借景にして3-4組のカップルが寒空の下できれいなドレスを着て写真を撮っていた。あれも大変そうだな。かなり寒そうでお化粧ののりも今一と拝見した。私の方はと言えば、今日はリハビリなので、残念だが1周でやめておいた。もうすこし歩きたかったな、うん。

タグ:皇居
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The Beck Diet Solution ② [雑文]

The Beck Diet Solution ②


この本について言いたいことはいろいろあるのだが、実際、かなりの確率で効果があると思う。ただし、本に書かれていることを批判することなくそのまま受け入れて、ともかく指導されるとおりにやってみることが前提だ。著者のJ.Beckが書けと言うのであれば書かなくてはいけないし、読めと言うのであれば読む必要がある。著作権の問題があるので詳しくは書けないが、例えばこんな具合だ。

“痩せたい理由をカードにかきなさい”
“そのカードを必ず毎日読みなさい”

そんなこと言われたって、、、やっぱ恥ずかしいよね。少なくとも私はそう思った。

“え?そんなの恥ずかしい。カードに書きなさいって何。そんなのわかってんじゃん。健康にいいし、見栄えも良くなるし、若く見えるし、、。いいことばっかだよ多分。わかってんだから書く必要なんてないよ。しかもそれをなんで何度も読まないとだめなの?意味わかんない。人に見られたらどうすんの恥ずかしい。やだよ、そんなのやんないよ。”

そんな分かり切ったことを目の前に並べて形にして、何度も繰り返し読めなんて子供じゃあるまいし、、、。というのが多くの我々日本人の反応だと思うのだが違うだろうか?

J.Backは、そういった邪念を“sabotaging thought”と呼び、それを打ち負かすようなつよい考えを持ちなさいと繰り返し指導する。例えば上記の場合は、

“自分はどうして痩せたいのか、ほんとは全然わかってないのかも。わかっていたらダイエットとっくに成功している筈じゃん。書いて読んで毎日やる気を新たにして、強めていくことで、少なくともダイエットの成功率が上がる筈だよ。ダイエットうまくいった人は、この方法が効果的だったと言っているし。人に見られることなんて滅多にないし、見られたって何も失うものなんてないじゃん?まあやってみっか試しに。“ 

こんな具合だ。そうやって、指導されたとおりに”実際にやってみる“ことで、認知行動療法に基づくダイエット?が少しずつじわじわと効果を発揮するわけである。嘘のようだが本当だ。

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2022/1/12 エイブラハム・ラボリエル [音楽]

2022/1/12 エイブラハム・ラボリエル


私自身、自分にあった本当に満足のいく楽器が世界のどこかにある筈だ、と思い込んでいるようなところがあり、借り物のYamahaのFalkギターから始まって数十本の楽器を巡りめぐっている。好き嫌いや憧れなどはもちろんあるのだが、結局楽器は自分の体に合わせるしかなく、人様の真似をしたり、理想を追うなど、頭でっかちになって無理をしても指や腰を痛めるだけでいいことはない。体を壊せば末永く音楽を楽しむことはできないだろう。楽器のことを考えると、いつも思い出すのはエイブ・ラボリエルのことだ。

エイブはちょっと太っちょの、カラフルな音色をもつベーシストであり、ジャズ系の音楽をこなすマルチでベストなミュージシャンの一人だ。この人はメキシコ出身でバークリー音楽院を卒業しており、聞くところによれば在学中はかなり熱心に長時間練習したとのこと。おそらく大学入学時にはあまり裕福ではなかったためか、彼の愛機は廉価な日本製の楽器であったと聞く。(ざっと調べてみたらGoyaというメーカーのベースを母国に帰るギリシャ人から400ドルで買ったとのこと。日本製か?謎は深まるばかりだ)彼は本来作曲などを学ぶためにバークリーに入った人であり、当時ベースは正式な専攻楽器として認められていなかったのでギター専攻であったとのこと。私にとって興味深かったことは、才能ある、既にいっぱしの音楽家であった彼は、自分が勉強しているアンサンブルでギターではなくベースを弾くことを許されていたらしいのだが、その安物の(60年代の400㌦だから必ずしも廉価ではなかったのかもしれないが、やはり当時はお金がなかったと記載されているエイブにかんする記事があった)楽器をとにかくいつでもどこでも弾きまくっていたらしく、周りの人は、音楽家なのだからもっとレベルの高い、値段の張る楽器、つまり“Fender”に買い替えるよう彼に勧めたのだが、彼は頑固に譲らず(お金がなかったからなのかも)、その“日本製”の廉価な楽器を弾きまくり、そうこうするうちにその楽器は素晴らしい音色に育っていって、最終的には仲間たちを音の魅力で納得させたという。個人的にはとてもいい話だと思う。これを書く前に下調べなどしなければよかったのだが、彼はメキシコではかなり有名な音楽一家で育ち、親兄弟、子供なども多くが音楽家であり、母国でもプロフェッショナルとしてすでに仕事をしていて、、、などという知らなくてもよいノイズのようなものが私の頭の中に蓄えられてしまった。これで話の本質が見えにくくなってしまったような気がする。子供のころに人差し指の先端をなくしてしまったことなども知ってしまった。

まあ、言いたいことは、楽器とは出会いが大切な事。作りさえしっかりしていれば値段はあまり問題にならないこと。ブランドも関係ないこと、真剣に付き合えば楽器はそれなりに育っていくこと、そういったことが音楽好きにとって大切なんだろうと思う。

もう一つ。名前は忘れてしまったが、アメリカの田舎?もしくは東ヨーロッパ系の出身のギター専攻の音楽家の話だ。彼もやはり学生時代にはあまり経済的に恵まれておらず、メキシコ製の廉価なストラトを使っていたという。こちらは下調べはしないで言いたいこと、大切な事だけを書こうと思う。彼はバークリーで熱心に勉強したが、将来には何の希望も持っていなかったとどこかのインタビューで言っていた。生きていければそれでいいさ、みたいな地味なことを話していた。なかなかかっこいいな。実際バークリーを出てもいい仕事に恵まれる人は多くはないようで、その証拠に私の身のまわりにもバークリー出身の方々か複数おられるのだが、多くは音楽を離れて生活しておられるのだ、驚くべきことに。また話がそれてしまった。私はADHDなのかもしれない。まあ、それで、彼はバークリーを卒業して細々と仕事をしていたのだが、なぜか仕事が途切れることはなく、だんだん経済的にも裕福になったので、そろそろ自分も、と、値段にこだわらずに自分自身のVoiceを探す旅に出た、つまり楽器漁りを始めたのだという。しかしお金も時間もできた頃には例のメキシコ製のお安い楽器がすでに自分の骨肉に、つまり変えようもない自分自身のVoice、肉声のようなものになってしまっており、結果的に学生時代からの付き合いであるメキシコストラトを大切にメンテして自分のメインの楽器として使い続けることに腹を決めた、との事であった。いい話でしょう?

やはり大切なのは楽器との出会いと付き合い方であって、値段とかはあまり問題にならないんだろう。いかに出会った楽器を自分のものにしていくかが本当に大切な事なんだな。楽器を文字通り音楽を楽しむための道具として使う事よりも、楽器を選んで買う事ばかりに時間と労力をかけるのはやはり“のーたりん”のやることであり、私自身もそういった傾向が強い困った奴なのだった。

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"もの"としての"楽器" ⑪ Fujigen NTL21RAH-WB ネック裏の塗装 [音楽]

"もの"としての"楽器" ⑪ Fujigen NTL21RAH-WB ネック裏の塗装


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日本が世界に誇るFujigenなので、沢山楽器を作っているのだろうと思う。楽器自体の色気みたいなものは少な目だと思うのだが、音程は正確だし、隅々までごくきちんと作られているし、本当によくできている。値段を考えると望外の仕上がりで、大変満足している。私は基本、シングルPUが好きなので、ソリッドボディでハムが載っている手元の楽器はこれだけだ。ハムの音が必要なときはどうしてもこれを使うことになる。もうレスポを買うことは無いだろうし。今後もどんどんFujigenのテレを使っていきたい。さて。


この楽器は、ネック裏におそらく塗装後にヤスリをかけるようなひと手間をかけているため、たいへん弾きやすい。多くの場合、艶消し仕上げをしているネックは、長期間激しく弾いていると、だんだんテカリが出てきて最後には艶出し仕上げになってしまうことが多いように思う。しかしこの楽器はいまのところそうではない。Gloss仕上げと艶消し仕上げの境界線は、写真のようにはっきりとしているのだが、指先の敏感なところで触ってみても、境界線のあたりでの塗装の厚さの差を感じることは無い。どうやって仕上げてあるのだろうか?謎は深まるばかりなのだが、どうやって作るのか、知っている方もおられるだろうが、答えはどうか私に教えないでほしい。知らないほうが楽しいことってあるじゃないですか。

タグ:FUJIGEN
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徒然Mazda2 2022/1-1 後ろのドアがぺらぺら [クルマ]

徒然Mazda2 2022/1-1 後ろのドアがぺらぺら


必要があってこのクルマを買い足した。我ながら、クルマを2台持つなどとんでもない贅沢をしているのだが、病人を運ぶためなので仕方がない、狭い路地を走るためにどうしても小さいクルマが必要だったのだ。Mazda2には大変失礼なのだが、必要がなくなれば売ってしまう心積もりでいたのだ、本当のことを言えば。しかし今や私はこの小さなMazda2をすっかり気に入ってしまい、一時など明らかにF30よりも頻繁に乗っていた。クルマの寿命が尽きるまで乗ることになるだろう。こいつは小さいし、軽いし、乗り心地はいいし、燃費だって悪くない。ペダルもシフトも軽いし、いろいろ細かい機能がついていて全てがきちんと機能する。高級感は全くないが、乗っていて気楽で楽しいのだ。このクルマを走らせていると、やはり日本の狭い道路には5ナンバーサイズがフィットしていると実感せざるを得ない。実はこいつを買うときには、Mazda3とどちらにするかずいぶん迷った。Mazda3はなんというか、普遍性のあるデザインで、買っておけばやはり寿命が尽きるまでそれなりに満足して乗れるような気がしたのだ。Mazda2と同じエンジンを積んでいるモデルがほとんど同じような値段で売られており、ディーラーも売る気満々であったためおそらくいい条件で買うこともできたであろう。しかし私はそうはしなかった。F30とあらゆる意味でかぶらないことが購入の条件であったし、小柄なクルマが必要であったことも理由の一つではある。しかしもう1つだけ許せない問題があって、それでMazda3の購入に踏み切れなかった、あきらめた。それがリヤのドアのぺらぺら感だ。リヤのドアは側面衝突などに備えておそらく十分な強度を与えられているのだと思う。そうではあるが、ペラペラなドアがどうしても許せなかったのだ。Mazda2も同じような問題を持っており、ドアをさわってみるとものすごく軽いし、叩いてみるとなんというか、ブリキの缶のようでぽんぽこいうし、重厚感は全くない。それで実際できるでリヤドアを開けないようにしていたりする。楽しくないから。クルマは軽く作ることが正義なのでこれでもちろん問題ない、とくにMazda2の場合は小型車なのでこれで許されると思うのだが、Mazda3の場合、おそらくMazdaの標準となるクルマなので、ちょっとこのままではいけない、と思う。少なくともフロントドアと同じくらいの重厚感、というか、“丈夫ないい感じ”が必要だ。自分でやってみればすぐにわかるけれど、ドアを閉めた時の感触が本当に情けない、つまらないのだ。たとえばBMWの場合などは、ドアの開け閉めをするとボディの丈夫さを感じさせるようなドシンずしんとした音と振動でドアの丈夫さを伝えてくるので、開け閉めしているとそれだけで結構楽しめる。それだけで”いいクルマだなあ”って思ったりすることさえあるのだ。しかし、Mazda3の場合はぱしゃんというかぺこんというか、ともかく感覚的に許せないようなチープな感覚でドアが閉まるのだ。それがすごくいやだった。重量増加を覚悟してドアの内部に制振材のようなものを張り込むとか、リヤドアにスピーカーを仕込むなど何らかの付加機能を持たせると同時に重厚なドアのしめ心地を狙うとか、やり方はいろいろあるだろう。そうしないのは、Mazdaのエンジニアがこれでいいと思っているからなのだと思う。Mazda3は確かに高級車ではないが、触覚や聴覚からの情報は、クルマの所有欲を満たすためにはかなり大切なものだと思う。Mazdaならそういったこまかいことも考えてくれるのではないか、と期待する。MazdaのWebサイトにはこまごまとした、しかしおそらく大切なことを書き込む場所が見つからないので、こんなところでつぶやいている私なのだった。ドアだけはほんと、何とかしてほしい。だってMazda2のリヤゲートはいい感じでドスンと締ってくれるのだ。ああいった感覚をリヤのドアにも取り入れてもらえると、個人的にはとてもありがたい。オーナーとしての満足感がぐっと満たされると思う。次もあるかもしれない、と思ったりする。だって本質は細部に宿るのだ。私はそう思っている。

タグ:mazda2
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徒然 F30 2022/1⁻1 空気圧 [クルマ]

徒然 F30 2022/1⁻1 空気圧


私はほとんどの場合、家人と2人でクルマに乗るので、タイヤの圧はいろいろやってみた結果225kPaに設定することが多い。しかるにディーラーに整備に出すと、たいていは235kPaになって帰ってくる。おそらくそれがデフォルトなんだろう。225に設定すると、ランフラットとはいってもタイヤの弾力を味わいながらドライブできるし、走っていてなんともいい感じなのだ。家人も225の設定が最も車酔いしずらく、かつ、いい感じに眠れるという。235にして路面がきれいな高速道路を走るのは悪くないのだが、一般道や町中のぼこぼこした道を流すと、どうにもドタバタとしておさまりが悪い。しかしその一方で、燃料を満タンにして走ると、なんとワンタンクで軽く700㌔くらいは走り切ってしまう、これは驚きだ。225の場合は600㌔は普通に走れるが、700㌔を狙うと、燃料切れがちょっと怖いかんじなのだ。ということは、だ。雑な話をすれば、空気圧を上げると燃費が一割以上よくなるということにならないか?まあ1割というのは大げさにしても。データを集めてさらに検討したい。

私が実際にどうしているかというと、燃費ではなく乗り味をとって、225に設定してF30を走らせることが多い。ドライブを楽しむために手に入れた車なので、あまり燃費のことは考えたくないのだ。最近Makitaの電動空気入れを手に入れたことはどこかに書いたが、こいつのおかげで空気圧は自宅で変えたい放題、楽しまないと損だ。しかしついに私は気が付いてしまったのだ。私が持っているポンプにはタイヤの空気を抜く機能がついていないことを。これはまったく不便の極み。ググってみると、おそらく私のように感じるユーザーが多いからだと思うが、減圧機能が付いたポンプが最近は売られているようだ。そりゃそうだろう。もう少し待てばよかった、残念だ。

タグ:F30
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The Beck Diet Solution ③ [雑文]

The Beck Diet Solution ③


J.Beckは言う。”5分しか走らなかった、ダメだな僕は”っていうのは典型的にダメな考え方ね、”こんなに忙しかったのに何とか時間を見つけて5分走ったんだから、本当に頑張ったんだよ”っていう具合に考えなさいよ、わかった? と。ナルホド。

いつも自分は考えるんだよなあ。私がいる業界は、恵まれていることが当たり前のようなものすごい家庭で育てられた人が山ほどいる。なので今まで長い間、ありきたりのバックグラウンドしかもたない私は、“その分自分で頑張らなくっちゃあ”、って考えて自分を追い込んできたのだが、J.Beckの教えに従えば、“自分は困ったちゃんの両親や同胞たち(ホントに困ったちゃんたちなのだ)のなかで育てられてきて、いろいろ難しい思いをしてきたんだから、今の自分の置かれた立場を考えると、すごくよくやってきたんだよねえ、うん。”、なんていう方向で考えればいいんだろう。

本当か?客観的に考えるとどうなんだろう?


冷静に考えると、、、

、、、

、、、

確かにそうかもしれない。本当にそんな気がしてきた。オレ結構頑張ってきたのかもしれない。なんか気分が良くなって楽になってきたぞ、、、。

ダイエットもこんなからくりで進んでいくのだろうか?
体重的には、正月のリバウンドからなかなか立ち直れない私なのだった。

To be continued.

タグ:ダイエット
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