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お蕎麦屋さんに求めるもの [雑文]

私がお蕎麦屋さんに求めるもの

何時の頃からか、、、多分歳をとったからだと思うが、米や味噌、醤油などの微妙な味の違いがわかるようになってきた。洋食よりはっきりと和食を好むようになった。一汁一菜のシンプルな食事にえも言われぬ豊かさを感じるようになった。日本の伝統文化を誇りに思うようになった。私の内面に、年齢を重ねるにつれて訪れた、諦めを伴う自己肯定が生じたように思うのだが、それに伴った変化なのかもしれない。そんな時間の流れの中で、今までほとんど興味がなかった日本酒と蕎麦が、私の人生の中で欠かせないものになっていった。我ながらおかしなものだ。

そんな私がお蕎麦屋さんに求めるものは、”安らぎ” の一言に尽きる。
清潔な檜のお風呂につかるように、一人の時間を満喫したい。たまにでいいから。

そんな私が求めるお蕎麦屋さんとは、、、

1.家からほど近い店 
2.広くて清潔、静かな店 子供は来ないほうがいい 音楽は無いほうがいい 
3.禁煙 これだけは是非 トイレが清潔であること これも必須 お手拭は清潔なタオル
4.新鮮な地酒が数種類 板わさとだし巻き卵などの肴を 大げさな料理はいらない
5.サービスはおばさんがいい お姉さんがいると気が散る 
6.麺は手打ちで挽きぐるみ 中細の角がたったもの これは良し悪しではなく個人的好み
7.つゆはよくだしがきいて濃くてからい、江戸前が
8.山葵は生が なくてもいい 葱は軽くさらしたもの 葱なんだから葱臭くていい
9.蕎麦湯はとろりと濃いものが お茶も頂けるとありがたい
10.大盛りは多少高くてもいいから、本当に大盛りに
11.靴を脱がせるお蕎麦屋さんは嫌いだ
12.蕎麦が切れたら店を閉めるよ、、、というのは悲しい その場で打って下さい
13.ご亭主がえばっているのはどうかと思う 客商売なのだから気さくにふるまっていただきたい

こんなお蕎麦屋さんがあれば、私は万難を排して毎日足を運ぶだろう。
タグ:日本蕎麦
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チェリーパイ、アップルパイ、チョコレートケーキ [雑文]

アンナミラーズのチェリーパイ、神戸屋のアップルパイ、トップスのチョコレートケーキといえば、20年ほど前、私の属した文化圏では定番の”甘いもの”だった。アンナミラーズのチェリーパイは、ホールで買うと結構な値段だったが(本社は井村屋と知ったときはびっくりした)、後の2つ、特にトップスのチョコレートケーキは美味しいのに廉価で、小さな集まりに持っていけば、ほぼ必ず喜こんでもらえた。最近、何度かそれらの”スイーツ”を、手土産にすることが何度かあった。しかしいつから”スイーツ”なんて言葉が使われるようになったのだろう?

神戸屋のアップルパイ 320円:”えー、何これー、ビニールに入ってるー、駄目ジャン”というのがお姉さんたちの反応だった。神戸屋のことを知らない人も半分以上。本当か?びっくりだ。自分的には”アップルパイと言えば神戸屋、神戸屋といえばアップルパイ”と当たり前のことのように理解していたのだが。これはシナモンなどを効かせて甘く煮込んだ大きめのりんご半分を、パイとパンのあいのこのような生地で包んで焼き上げたもので、ボリュームもあるし、パンのわりに上品で、これを嫌う人はほとんどいない、という食べ物で、おやつに持っていくと喜ばない若者はいない逸品だ。今でもその品質は変わっていないと思う。お店の場所によってりんごの大きさが違う、というまことしやかな噂などもあり、人によっては”必ず○○店で買う”などとこだわっていた。頭にきて無理やり”食え!”とごり押し。一口お口に入れたところ、お顔が”びっくりマーク”のようになって、それからはパイを二つに切って、グループ内の女子で奪い合いになった。結局数が足りなくなって、食べられなかった男性を含む若者たちから”もう一度買ってきて”とねだられた。よしよし、、、。

アンナミラーズのパイ チェリーパイ ホール 4148円:こいつは結構高い。パイの種類によってはひとつ5千円位する。アメリカンスタイルの材料勝負のパイで、それを日本的な細やかな気配りで作ってある。持ってみるととっても重い。これを数個買い込んでパーティーに臨んだのだが、その重さと、パイを崩さないよう気を使ったこととで、会場に着いたころには結構疲れてしまっていた。アンナミラーズといえば、女性の体の曲線を強調した、可愛いウェイトレスの制服(コスチューム?)が有名だった。今のメイド文化のはしり、といえないことも無い。しかし今は昔、私がよく訪れた某店は姿を消し、高輪に一軒を残すのみである。ざっと店内を見回した印象では、例の制服は変わってしまい、やや地味方向にハンドルを切ってしまったようだった。残念だ。お店の雰囲気にも、昔のような華やぎを感じない。一部の商品以外は宅配してもらえないので、自分で大荷物をふうふう言って運んで老若男女に振舞ったのだが、アンナミラーズといっても知っている人はほとんどおらず、このパイを口にして喜んだ子供が、どこで売っているか聞きに来たくらいだった。手ごたえなし。日本の人たちの好みが変わってしまったのか?自分でも食べてみた。ボリュームいっぱい、カロリーてんこ盛り、これでもか、といったパイのお姿は昔どおりだ。味も期待を裏切らないもの。一口食べればあなたの心にアメリカの風が吹く。(アメリカで同じようなパイを買うと、質の高いものでも20-30ドルくらいだ。都市部ではもっと高級なパイもあるが)”子供の食うもんじゃねえ!”と言うわけにも行かず、アンナの名前を口にしたところ、その子のお父さんは知っていた。栄枯盛衰は世の習いということか、、。寂しかったよ。これで一勝一敗だ。

昔自分が信じていたものが次世代の若者たちに否定されたり、受け入れられるという体験を持ったわけだが、自分が属した文化?の評価で、自分自身が動揺したり、安堵したりするというのはなんだか面白いなあ、と思った。

トップスのチョコレートケーキ 1699円:最近地元でこれを売っていることを知ってしまった。たしかトップスというお店は赤坂あたりのカレー屋さんで、そこで出していたチョコケーキが美味しい、というので評判になり、店頭でこれを売り出したところブームとなり、一時はお店に行って列を作っても買えないことさえあった。そういういわくつきのケーキだ。とにかく一つ買ってみた。”あの時代”を共有した家族と一緒に味わってみた、、、、。スポンジがやや渇き気味であること意外は昔通り、と感じた。感想は気候・保存の問題か?結構美味しいよ。昔の記憶がよみがえる、、、。

今度はこのチョコケーキを誰かに食べさせるのを楽しみにしている。
タグ:スイーツ
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座らない女 [雑文]

通勤の風景 ”キャラが立った人々” (1)

電車通勤をしている。ある連絡駅で、ホームからホームへ走って、次の電車を並んで待つ。下車する前に、いかに電車の出口の扉の前に立つかで”勝負”が始まっており、怒鳴ったり小突いたりする人もいて、なかなかスリリングだ。毎日同じ時間の電車に乗っていると、だいだいメンバーが決まっているわけで、多少の移り変わりはあるが、誰がどこに並ぶのか、なんとなく”序列”が決まってくるものだ。

たった二駅しか座れないのに血道をあげて人を押しのけたり突き飛ばしたりする初老の男性、とか、下車する一つ前の駅でいったん電車を降りて、扉が閉まる直前に無理やり乗り込んできて、下車するのに有利なところに陣取ろうとする小太りの汗だらけの中年男性、とか、何があろうと絶対に自分のお気に入りの立ち位置を譲らない、とっちゃん坊やのような中年男性、とか、キャラが立った人たちの顔を覚え、"危険人物"には近寄らないようにしている。稀に異常に体臭が濃い人とか、強烈な口臭を撒き散らして人を遠ざける人、などが乱入してくるので、電車通勤は本当にエキサイティングだ。大声ではしゃぎまわる電車通学の小学生や、極端に汚れた服装で電車にのってくる人たちなども、安全で快適な通勤を台無しにする危険な”地雷”だ。通勤に慣れるに従って、背広やコートなどの割合上品な服を避けるようになり、今ではずいぶんカジュアルな出で立ちで通勤を楽しんでいる。お隣に”危険人物”(私は不潔系が苦手)が座った際に、無念無想になるための音楽とヘッドホンは、必須のサバイバルアイテムだ。くしゃみをしまくる人を発見した際に自己防衛するための大きめのマスクも、健康を維持するために欠かせない、、、。その他の必需品は現実逃避のための文庫本くらいかな、、、?

最近面白いことに気が付いた。朝方、かなりの頻度で見かける人々の中に、絶対に走らない女性がいるのだ。年のころ30前後。骨太の体格、背は高め。色黒。髪は長くストレートでばさばさだ。季節に関わらずブーツを愛用しているのがステキ。絶対に走らない、並ばない。従って、滅多なことでは電車の席に座れない。しかしあせらず騒がず、涼しい顔をして立ったままでおもむろにスポーツ新聞を開く。味わうようにして読む。これは格好いい。途中で席が空いても、やはり超然としていて、ちょろちょろと走ってきた中学生に席を取られてしまったりする。しかし動じない。興味をもって観察していると、この女性は結構な長距離通勤だ。それなのにほぼ絶対に座ろうとはしない。密かに”鉄の女”と命名して、時々見かけては、その不屈の?精神力を感心しながら観察させていただいている。誰だかのエッセイに、”人生は短い。しかし走って電車に乗るほど短くは無い”などと書いてあったように記憶しているのだが、やはり早朝の数十分間、電車の椅子で、睡眠したり読書したり、仕事の準備をしたりする時間が取れると大変助かる。それで個人的には、恥を忍んで”走る人”のグループに属している。

この女性を目にする度に、女性特有の潔癖さを感じる。絶対に妥協しない。厳しい。変節しない。信念がある。損得は完全に無視だ。強い。我とわが身にその火の粉が降りかからないという条件付きではあるが、こういった潔癖さには実にほれぼれとする。話はかなり飛躍するが、こういった女性特有の感受性が巷に満ちるようになれば、日本の政治も多少ましになるのではないか?正しいものは正しく、間違っているものは間違っているのだ。”ダメなものはダメ”というスローガンを昔どこかで耳にしたように思うのだが、それをやれるのは女性しかいないだろう。女性たちが政治の主役に躍り出れば、談合とか、根回しなどはすぐに死語になるだろう。口先ばかりの政策はなりを潜め、責任の所在をはっきりとさせ、切るべきものは切る、といった、”決めることのできる”政治が出来るのではないか?かつてのイギリスがサッチャーさんを必要としたように、今の日本はさらなる女性の力を必要としているように思えてならない。上記の女性を目にするたびに、なぜかそのようなことを考えてしまう。

親父の一人として、今度体力に余裕があるときに、”走る人”をやめて、悠々と電車の中で立って通勤してみようと思っている。腰に悪そうだけれどね。どんな気分になるだろうか。いや、その前に、例の女性に、なぜ走らないのか、なぜ席に座ろうとしないのか尋ねてみるのが先かもしれない。お尻に出来物があって、座ると痛いだけなのかもしれないが。

8月29日

久しぶりに”座らない女”をみた。相変わらずほれぼれとするようなたちっぷりだった。一一が楽しくなった。
タグ:電車通勤

走る男 [雑文]

通勤の風景”キャラが立った人々” (2)走る男

朝方、自宅を出て、最寄りの駅の階段を上る。いつもの電車に間に合う様に、時計を見ながら足早にタンタンと階段を上る、、、と、いたいた、いつもの”走る男”だ。50代の男性で、背は低く、痩せこけていて、首などはまるでこけしのようだ。頭は典型的な”バーコード”スタイルで決めている。四角い眼鏡を神経質に鼻の上に乗せている。唇は薄く、あくまでも固く結ばれており、他人との会話を拒むかのようだ。いつものように黄土色のウインドブレーカー。いつものように茶色っぽいスラックス。この人はいったい何着、同じような服を持っているのだろう。洗濯が嫌いなのか?この出で立ちで、走りやすいスニーカーを履いていて、さらにいつも若者向きのバックパックを背負っている。(最近の若者に、バックパックといって理解していただけるかどうか不安)

彼はいつもの場所にいつもの時間にいつものような姿勢で立っている。ふわふわと体を動かして落ち着かない。電車を無表情で待つ、待つ、待っている。後ろに並ぶ人たちには無頓着だが、隣に立って待とうとすると、途端に不愉快そうな表情をする。あまり近くに立つと、何となくこちらに体を預けるような形で体重をかけ、こちらを押しのけようとする。しかし近づきさえしなければ、実害はない。

さて、ガタゴトと電車がホームに入ってきた。電車と”走る男”との距離は限りなくゼロに近い。ホームぎりぎりで電車を待つ。この人は恐怖という感情をもたないのだろうか?無表情で、通り過ぎる電車の風圧で”髪”を乱しながら、電車が止まるのを待つ。止まった0.3秒後には、一心不乱に電車に走り込む。定位置につく。たいてい席は空いていない。必ず優先席の前に立つ。荷物を棚の上に乗せる。前日の行動をコピーしたかのようだ(私も毎日彼と同じ時刻の電車に乗っているわけだが)。まるでロボットのようだ。”走る男”をちらちらと観察していると、空いている席を探している。数十秒おきにきょろきょろとあたりを眺めている。しかし空席が無いので、あきらめたようだ。無表情で、たまに吊り輪にぶら下がったりしながら電車に揺られてゆく、、、。

連絡駅のひとつ前の駅で、彼は一旦電車を降りる。それから、、、列車の後方に向かってホーム上を鋭いダッシュだ。すいている車両をめがけて一気に走り、扉がしまる直前に、、、周囲に目を配って、、、全ての乗客が乗り込んだことを確認してから、、、ゆっくりと電車に乗り込む。そして扉のまん前に立つ。これで連絡駅ですぐに電車を降りて、有利に走る準備が整うわけだ、、、なるほど。たまたま、同じ扉の前に、並んで立ってしまったことがある。狭い扉の前に私と彼。彼はそっと体を寄せてきて、それから私に全身の体重を預けて押しのけようとした!恐れていたことが起きたわけだ。彼はおそらく、乗り換えに有利な扉の前の空間を独占したいのだろう。次の駅までの僅かな時間、彼は私に体重をあずけ続け、腰痛持ちの私は冷や汗をかいた、、、、電車が駅について扉が開いた刹那、言うまでも無いことだが、彼は誰よりも早く開いた扉から解き放たれて、次の電車の席の確保に向かった、、、、。私は腰痛のため走ることができず、完全な敗北だ。それからは、電車で彼を見かけると、できるだけ距離を保つよう心がけている。

電車に乗ると、彼は満足したように確保した席に身を沈める。そして、せかせかと荷物など調べ始める。電車に二駅乗る。すると彼はすっくと立ち上がり、(この人は二駅乗るためにあんなにがんばったのか?)バックパックをしょって早足で社内を走り出す。かなりのスピードで、しかも周囲の人に注意を払わないので、ガッツンガッツン人の背や足にぶつかりながらだ。いったいこの人は何を考えているのだろう、、、。アグレッシブな動きを暫く見せた後、彼は怒ったような表情を浮かべながら、いつもの駅で、いつもと同じ扉から電車を下りる、、、もちろん走って下りるのだ。

あんなにがんばって、あんなに周囲の人に顰蹙をかって、たった二駅のために椅子を確保するなんて、、ここに書いて多少は気が晴れたけれど、機会があったらこの人の頭の中をのぞいてみたい!
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高価な楽器を購入する話1 [雑文]

 音楽が好きだ。とにかく好きだ。いいギターが欲しい。いい音楽のある、豊かな人生を送りたい。楽器は結構売ったり買ったり作ったりしてきたが、楽器を弾いて楽しむことだけに時間を使いたくなったのだ。専門家にお金を払って、蓄積した素晴らしい技術を生かした楽器を”作って”もらい、その果実である楽器を楽しみたい、、、。そう考えた。人生に残された時間は貴重だ。もちろん注文する前に、数箇所の楽器屋さんを訪れ、事情を説明し、いろいろな製作家の楽器を見せてもらった。私は他人に自分の楽器を触らせない。だから売り物の楽器を触るのは申し訳ないと思う。見せて頂くときは、細心の注意で弾くようにしている。人様の楽器を触るのも極力避けている。

 楽器の世界では”音がいい楽器”であることが言うまでもなく重要だ。しかし私のようなただただ音楽が好きな愛好家にとって、楽器は愛着の対象でもあるので、”音がいい”こと同様”美しい楽器”であることも重要だ。プロではないのだから。楽器を抱えたり眺めたりし、うっとりしたり舐めたり?したいわけだ。このようなやや変態じみた気持ちは、わかる人には言わなくてもわかるし、わからない人にはわからないだろう。人によってはブランド性も重要で、”○国で作ってないと駄目”とか、”○のブランドでないとイヤ”とか、気にする人は多い。”どこどこのあれあれ”という楽器を持ちたいということだろう。車で言うベンツやBMWのようなブランドは、確かに存在する。有名な演奏家が使っている楽器も羨望の的だ。ギターの場合はその材質も大変重要で、”この部分は○材で作らないと駄目”などとこだわる人が多い。これは確かに重要なポイントで、私にもそれなりのこだわりがある。私の場合は”音が良い”の次に”見た目が美しい”ことが重要で、ブランド性についてはどうでもよい。自分が好きか嫌いかで判断すればいいのだから。そんなの簡単だ。長年やっているので、楽器の質にはうるさいオヤジだと思う。自分なりの判断基準ももちろんしっかりと持っている。

 ギターはもともとスペインの民族楽器であり、ヨーロッパの製作家達は”音の良い楽器”を作ることに長けているように思う。伝統もあるしね。私は海外で長く暮らしたため、欧米人特有の”目的に向かって突き進む力”は理解しているつもりだ。楽器作りにおいても、それが発揮されているように思う。しかし同時に欧米人の”えー加減さ”は、私のような些事にこだわる人間には耐え難いもので、海外で仕事をしていた頃は、欧米人の”雑な仕事”に慣れるよう努力したものだ(もちろんきちんとした人たちもいる。国籍で全てを語るつもりはない。)。物差しが違うので仕方がない、どうしようもない。異文化に勝手に紛れ込んだ自分が悪いといえば悪いのだ。何が言いたいかというと、もう欧米で雑に作られた楽器は沢山だということだ。どんな有名な製作家が作った高価な楽器であっても、今はもう欲しくない。日本人がきめ細かい神経と職人技で作った美しい楽器を手に入れたいのだ。心は日の丸万歳なわけだ。何度か某国で手作りの楽器を購入したことがある。ある高価な楽器を購入した際、様々な問題が次第に明らかになり(力木のはがれ、塗装の問題、深い傷、指板の狂いなどなど)、結構頭にきた。修理は楽器屋の修理担当の気のいいオヤジさんの手に負えなかった。店から製作者に連絡して交渉したら、”自分たちに修理をさせて欲しい””結果を見て判断して欲しい”というので、やってもらった。しかし製作者たちは決して謝罪はしない。これはおそらく文化の問題だ。数週間待ったが、修理の結果は残念ながら全然駄目だった。それで”受け入れられない”旨伝えたところ、”作り直す”と言ってくれ、更に数ヶ月待った末に送られてきた楽器はほぼ完璧だった。楽器屋さんは、”こんな良心的な対応をする製作家は見たことも聞いたこともない”と話して驚いていた(製作家との交渉は店の仕事と思うが、まあ良い)。大変な思いをしたが、いい楽器を手に入れることができてうれしかった。しかし非常に疲れた。製作家に礼状を書き、”壊れるまでずっと弾き続けます、ありがとう”と伝え、それ以来、楽器を自分で作ったことはあったが、買ったことはない。その楽器だけを弾いてきた。しかしその楽器は国産ではない。死ぬ前に国産のよい楽器が欲しいのだ。

 日本人の求道的な姿勢や、美意識、職人芸などは本当に素晴らしい。現在一番脂が乗っているギター職人を誰かに教えてもらい、お金を払って仕事を丸投げして、音の良い美しい楽器を手に入れたいと考えた。人の推薦で、高級ギターを扱う都内のギターショップAを訪れた。なかなかフレンドリーな対応で、私に合いそうな楽器を何本か弾かせてくれた。今の私に合いそうな製作家Bの楽器と、将来長く付き合えそうな、お店で売り出し中の製作家Cの楽器が最終候補に残った。上記の様に、A以外にも数件のお店を訪れて、いろいろと教えて頂き、お礼にこまごまとした買い物をしたりした(私は義理堅い)。結局、”いま脂が乗っている”邦人製作家Cが作った、定価が数十万円の楽器を人生最後の楽器として買うことにした。この値段は、特別な木材を使わない国産の楽器としてはほぼ最高レベルの楽器の値段だ(特別な材料を要求すれば軽く100万を超える)。いいものが手に入るに違いない。幸せになるに違いない。購入を申し込んでみると、6ヶ月待たされるとのことであった。不安はあった。家族は止めろと言った。しかしお店Aを信頼し、半金を払い込み、6ヶ月間待つことにした。(to be continued)
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高価な楽器を購入する話2 [雑文]

 6ヶ月以上たった。長い長い時間だった。何度か電話をして”神経質なので出来上がったら誰にも弾かせないで””出来上がったらケースにしまっておいてすぐに連絡して”とお願いしておいた。”像が乗っても大丈夫”な、最強のケースも注文した。ようやくお店Aから電話があり、楽器が出来上がったとのことだった。私は遠方に出張中だったのだが、とにかく飛行機で地元に舞い戻り、楽器店に久しぶりに足を運んだ。そこで自分の楽器に初めて対面した。ざっと見てみて、、、ちょっと驚いた。仕上げが全体に雑なのだ。弾いてみると、、、音は悪くない。しかしこれは当たりまえだ。だって国内最高の職人なんだよ?出来たてなのできちんと評価できないが、この先いい感じになりそうな予感。特に低音弦がプリンプリンと弾いていて気持ちがよい。私のごつい指も喜んでいる。

 手にとって、細部を点検した。表面版に傷?お店の人は塗装の問題なのですぐに取れますよ、という。ともあれ、お店を信頼してOrderしたのだから、と、時間も無いことだし、恐らく大丈夫だろう、と、楽器を大切に大切に大切に持って帰った。お店の人になんとなく追い出されるような感じだったのは気のせいだろうか。やはり持って帰るべきではなかったのだ。私のような楽器偏愛のキャリアが長い人間の場合、第一印象はとても大事で、多くの場合、第一印象で判断して楽器の良否に関して判断を間違うようなことはない、と思う。いい感じなものはいいし、おかしいなと思えばやはりおかしいのだ。

しかしともかく持って帰った。お店を信頼して。だって人から紹介されて、きちんと挨拶をして、製作をお願いして半年も待ったんだよ?気を使って何度か買い物もした。おかしな楽器を押し付けられるはずがない。翌日はまた出張で、数日後にようやく落ち着いて自分の楽器と向き合うことができた。この楽器を買う前に、部屋の模様替えをし、楽器を楽しむためだけに楽器用の椅子を買い、いろいろ準備をしたのだ。それで電気をつけて明るくし、その特別な椅子に座って、楽器に汗をつけないように完全防護して、新しい椅子に座って楽器を仔細に点検した、、、すると、こ、これはひどい。いろんなところが大変なことになっている。

 数箇所、塗装がきちんと乗っていない部分がある。平面がきちんと出ていない部分もあるようだ(平面出しは実は大変ムヅカシイ)。 指板の一部が欠けている、、、気がつかなかった。これは許せない。指板のそこここに傷もある。ヤスリがけのあとが残っていたりもするようだ。表面版に傷3つ、爪?弦?ブリッジに弦を恐らく張り間違った際の傷、、等々。腕がいい評判の職人なら、納品する前に全部消せるはずなのに。目の前が暗くなった。それから頭に来て頭に血が上った。よく見るとネックの付け根に刃物の傷も残っている。本当に脂の乗った製作家なのか?お金が必要で、無理して雑な仕事をしてしまったのか?どうなんだろう。”音さえよければあとは同でもいい”というタイプの人なのかもしれない。しかしお店に並んでいる楽器は、すごくきちんとできている。怒りと混乱。残金を支払う前に、店と連絡を取ることにした。”つくり直して欲しい”と伝えるつもりだ。仕方がない。ゼロからやり直しだ。

 店に電話をしてみると、休みだった。心が休まらない一日を過ごし、翌日ようやく連絡がとれた。説明すると、”嗜好品だから”と、私には理解できないことをおっしゃる。どういう意味なのだろう?傷や塗装の問題は受け入れられないので、きちんとした楽器を作り直して欲しいと伝えたのだが。しかしどうも傷がついていることは認識しておられるようで、それは知っているとのこと。傷がついたものを数十万で売るのはやはりおかしいのではないか、、、?なんかおかしくないか?ふざけてないか?お店で検品して、チェックリストとか作らないのだろうか?そういう業界なのか?何故か結局製作家と私が直接話をすることになった。お店が製作家を抱え、育て、宣伝して楽器の値段を上げ、売れた際はかなりのマージンをとる、という形で共栄共存しているらしいことはわかっている。しかし私はお店から楽器を買ったので、お店に窓口になって欲しいのだが、、、。私は結構細かい人間なので、要求水準が高いのかもしれない。しかしたかだかギターに何十万も支払うのだから、その楽器に、素晴らしい仕上がりをもとめても誰もとがめないのではなかろうか。どうだろうか?

 かつて私が長く住んだ某国でも同じようなことがあった。お店の人は責任を取りたがらず、お店から私が怪しい外国語を操って製作家と直接交渉した。某国の製作家は誠実に応対してくれ、時間はかかったが結局は満足のゆく楽器を手にすることができた。表面版のうらの力木のはがれと指板の狂いを指摘したところ、理解してくれ、”気に入るようになおす自信があるからやらせてくれ””時間がかかるのは理解してくれ”と説明され、数週間待たされた。出来上がりは残念ながら悲惨で、問題は解決していないばかりか新品の楽器なのに全体が傷だらけになっていたため、怒り狂ってその旨伝えたら”気に入ってもらえず残念だ。それなら2ヶ月で作り直す。”ということになった。”特別に変えてほしい部分はあるか?”と尋ねられ、”あなたの楽器が気に入って買ったのだ、いつもどおりの楽器を作ってくれればそれでいい”となんだか美しい話になり、2ヶ月待って今度は素晴らしい楽器が手に入った。この楽器は今でも身近にあり、私の生活を豊かにしてくれている。その後何度かその製作家と連絡をとったり、楽器のパーツを売ってもらったりしている。(前回書いたみたいなのでこの部分はそのうち直します)

 今回はどうなるだろう?かなり頭にきているため、冷静さを失わないよう、失礼なことをいったり怒鳴ったりしないよう、自分のためににこの文章を書いている。製作家に冷静にこちらの主張を伝え、まずは反応を見させてもらおうと考えている。とにかく、死ぬまでに、日本の職人が気合を入れて作った、心から満足のいくよい楽器を手に入れたいと思っている。(to be continued)
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高価な楽器を購入する話3 [雑文]

 ようやく気持ちが落ち着いたので、ことの顛末を書いてみようと思う。

 製作家に会いにいった。やはりお店は責任を取ってくれないようだ。ここのところがよくわからない。ともあれ、製作家に、私が納得のいかない部分をみてもらった。こちらの意志は伝わったようだ。彼の意見を要約すると、”気に入らないなら買ってもらえなくって結構”ということであった。私の理解を超えた反応だ。デポジットを沢山収めて何ヶ月も待って、納得のゆく楽器を手に入れられなかったわけだから。しかし怒鳴っても何も事態は改善しそうに無かったので、楽器をお返しして、その後デポシットを返して頂いた。

 商品である楽器を弾きまくる店の人とか、雑な楽器の扱いとか、一部の製作者の態度とか、この音楽ジャンルに関わる人たちの独特の雰囲気とか、ほとほとイヤになってしまい、本来やるつもりでいた音楽ジャンルに戻ることにした。その後ドイツやアメリカやオランダや、もちろん日本の製作家たちと連絡を取り、結局なぜか非常にやる気のあるオランダの製作家に、人生最後で最良の楽器を作ってもらうことになった。何度もメールをやり取りして、楽器のスペックを絞ってゆくのは、自分が必要としている楽器が良くわかっているつもりなので、楽しいプロセスだった。しかし残念ながら、日本の名人が作った楽器を買うことはできないことになってしまった。

 それでも、ようやく、心穏やかに、自分だけの楽器が出来上がるのを待つ、心豊かな毎日を送ることができている。

 最初からこうすればよかったんだな。
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USACG Jazzy Tele [雑文]

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USACG Jazzy Telecaster

 Telecasterが好きだ。多分最初に手に入れたまともなギターがTelecasterだったからだろう。何事によらず、”初体験”は大切なのだ。わかる人はわかるだろうが、Telecasterの音はヒジョーに強烈なので、使い方がとってもムヅカシイ。それで自分好みの音が出る、Teleの形をしたギターを作ってみた。Warmothのパーツは買ってきてポンづけできることが多いのだが、USACGの場合はそうでもない(個人的感想です)。今回もそうだった。山超え谷超えて何とか楽器として成立させることはできたが、作業は本当に本当に大変だった。しかし振り返ってみるとなぜかとっても楽しい気持ちになったので、ちょっと報告してみたいと思う。
 ネックはストラトのラージヘッドスタイル、軽くバーズアイが入ったメイプルネックで指板はエボニー。ポジションマークはMOP。つくりはビンテージに倣った。指板はコンパウンドラディウスで、わりと平らな感じ。フレットはビンテージに近いくらい背が低く幅が狭いものを選んだ。ペグはゴトーのSDS510HAP、これは最高だ。ナットは漂白していない牛骨を買ってきて自分で削りだした。木部はつや消しのポリで塗ってもらった。残念ながらラッカーは選べないのだ。ボディは定番のスワンプアッシュの2ピース。指でたたいてみると、かんかんコンコンと、とってもいい音がする。これをMaryKayモデルに倣って塗ってもらった。木目が透ける薄めのクリームホワイトだ。ピックアップはフロントにGibsonの57年モデル、リアはJorBardenのダニーガットンモデルをおごった。ブリッジはいろいろなものを5種類も購入して、ようやくゴトーのチタンサドルを使ったものに落ち着いた。スイッチやポットは定番のスイッチクラフト、CTS、オレンジドロップなどでかため、銅箔や導電塗料でしっかりとノイズ対策もした。こうして振り返って書いてみると簡単だが、実際にはえらい苦労をしたのだ。

 一番苦労したのがネックだ。Tommyがテレではなくストラトのヒールになったネックを作ってしまったようで、取り替えてもらった。ストラトヒールのネックは、WebSpecialとして売りに出され、すぐに売れてしまった。次に、送られてきたネックに、ボディに取り付けるための穴が開いていないことに気付いた。もう一度送り返して、穴を開けてもらうようお願いしたのだが、”問題ないよー”と送り返されてきたものにはなぜか穴があけられていなかった。仕方がないので、テンプレートを作って自分でドリルプレスを使って穴を開けた。大事な穴なので、ヒジョーに緊張した。うまくいってよかった。次に、ペグの取り付けで大変な目にあった。ある寒い朝、大きなドリルプレスでヘッドの裏に穴を開けた。そしてブッシュをヘッドの表側に打ち込んで、ペグを裏側から挿入し、一つずつねじでじわりじわりとしめてゆく、、、、。ネックは堅いメイプルなので、慎重に慎重にゆっくりゆっくり、、、、、これまでこの手の作業で失敗したことは一度も無い。しかしUSACGのネックを使うのは初めてなのでいつもよりさらにゆっくりと慎重に、、、、突然ドライバを握る右手の抵抗が無くなった。何が起こったのか?よく見ると、ペグを固定するネジ釘を、私の怪力がねじ切ってしまったのだ!ネックに使われたメイプルの質が高く堅かったため、ネジ穴をもう少し大きくするべきだったのだろう。作業場がえらく寒いのが悪かったのかもしれない。実際に何が起こったのか、理解したときの悲しさといったら、、、。筆舌に尽くしがたいというのはこのことだ。暫く落ち込んで、作業から離れた。新しいネックを買って、ネジの残骸が木部深くに残ってしまったネックは捨ててしまおうかとも考えた。しかし結局そんなことはできなかった。せっかくTommyが面倒を見てくれたのだから、、、、。しかし気を取り直してネックに向かい合うまで、2年もの間このネックを放置した。我ながらひどい話だ。根性なしだ。私にとって、楽器は美しくないといけないものなのだ。修理の後が残ったネックなんて使いたくないよ、、、。しかし木の神様に怒られるので、気合を入れてでがんばった。ネックにドリルで大きな穴を開けてねじを取り出し、穴をきれいに整形して、木目をあわせたメイプルのダボを作り、穴を埋めてラッカーで塗装し、ヤスリをかけ、ペーパーで磨いて周囲の塗装に溶け込ませる、、、。大変な作業だった。忘れていたが、指板の一部が最初から欠けており、ここにもラッカーを塗りこんで埋めた。これも結構大変だった。そうではあったが、手間隙をかけたネックは、私にとって特別なパーツになってくれた。

 また、ナットを埋めるためのスロットがゆがんでいることが後にはっきりしたのだが、この部分の修正は本当に本当に大変だった。狭いのでのみが入らない。正確な作業なんて不可能だ。メールでアメリカの職人さんに相談してみたりしたのだが、うまい手は見つからなかった。ヤスリで修正を試みたが、なかなか正確な平面を出すことができず、結局ルータービットやジグを購入するなど、機械に頼らざるを得なかった。なんとか固くて真っ黒なエボニーに正確できれいなスロットを作ることができたが、時間とお金がたーくさんかかった。それ以外にも、ボディ裏に落としこむファレルのサイズが合わなかったり、コントロールキャビティの幅がWarmothのものと比べて狭かったり、いろいろ越えなくてはならない問題があった。しかし気合と根性と少しの経験で一つ一つ乗り越えていった。そしてなんとか完成にこぎつけることができた。しかしブリッジやナットの微調整に入ると、ボディやネックが若干ゆがんでしまっていることが明らかとなり、対処は本当に本当に本当に困難だった。ネックに力をかけて押したり、引いたり、弦のゲージを変えたり、ナット、ブリッジ、ロッドを何度も調整した。上述したが、ブリッジなどは実際5回も買いなおした。気が遠くなるような手間隙をかけた末に、なんとか楽器として成立させることができた、、、えらく大変だった。
 
 自分で現在最善と思われるパーツを集めて製作(アセンブル)したのだが、いつもの真空管アンプ(これも実は自作)につないで音を出してみると、自分のイメージとは少し違う音しか出ないようだった。あきらめずにコンデンサやポットを変えたり、PUの高さや角度を調整するなどして、少しずつ自分好みの楽器に仕上げていった。最終的には”Great”なギターとなり、私の毎日の生活に華を添えてくれている。この楽器の製作は、今まで経験したことがないほど大変ではあったが、マニアックで楽しい時間を過ごすことができた、といえないことも無い。ようやく最近、フラットワウンドを張るとなぜか音がまとまらなくなること意外は、ほぼ思ったとおりの、弾いていて幸せになれるような、満足のいく楽器に仕上げることができた。ラウンドワウンド弦を張ったソリッドギターでJazzを弾くのはちょっと格好悪いが、音は最高だぜ、と一人悦に入っている。

 このギターを仕上げることができてとっても幸せだが、やはり専門家に製作してもらうか、Fenderを買うほうがずっとお手軽でお安いと思った。お粗末。読んでくれる人がいるようなら、他のギターの製作記事も書こうかな。
タグ:ギター usacg
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Warmoth Boatneck Tele [雑文]

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7月21日 Warmoth Boatneck Walnut Tele

 某国の田舎町に住んでいたころ、自分でエレキを作ってみようと思った。とにかく無難に、と考えて、Warmothでボディとネックを買った。最初に購入したボディはなんだかひびが入っていたので、クレームをつけて交換してもらった。Ken Warmothさんは、”何 がいけないのかわからない”と ぼやいていたっけ。ボディを送ったりパーツを購入したりしているうちに、オリジナルのストラトを持っているという郵便局のおじさんと友達になって、ギター話で盛り上がったりしたのはいい思い出だ。とにかくよくできたネックとボディを手に入れた。非常に美しく、美術品のようにもみえ、なでたりさすったりして喜んでいた。特に極太のネックはバーズアイとタイガーストライプが複雑に入り混じったような杢が入っており、眺めているだけで一杯呑めそうな美しさだ。撫でさすると(当たり前だが)つるつるとしており、この世のものとは思われず、コーコツとしてしまい、なんだかとっても興奮した。まるで子供か変態だ。しかしこれはあくまでも楽器の部材に過ぎないのだから、組み立てなければ意味が無い。美しい宝石のようなボディとネックにドリルを入れる決心がつかないままに仕事がどんどん多忙となり、結局1年以上押入れの奥にしまいこむこととなった。

 ようやく時間ができて、必要な工具やパーツを購入し、ドリルプレスで根性を入れて穴あけ。今でも不思議なのだが、全くミスをしなかった。まあ運が良かったのだろう。パーツは、ブランドにはこだわらず、精度高く作られ、性能の良いと思われるものを選んだ。シャーラーのペグ、無漂白牛骨ナット、ブリッジはゴトーのごついもの、エレクトロソケット、ビルローレンスのPU、等々である。今でもなかなか良い選択をしたと思っているが、かなり重い楽器になってしまった。

 最初はネックもボディも日ざらし亜麻仁油を塗ったオイルフィニッシュにした。ウォルナットでできているボディはこれでいいのだが、メイプルネックはオイルをほとんど吸わないため、なんだか木部を保護できていない印象で、少しずつ指板も汚れてきた。それで紙やすりで表面をていねいに削り、MinWaxのWipeOnPolyという塗料を指で丁寧にすり込んで仕上げなおした。これは日本では手に入らない塗料なのだが、うすく均等に仕上がる上に、触ってみるとなんだか少しだけべとつくため、Fenderなどの最近のラッカー仕上げと非常ににた感触(必ずしも良い、というわけではないが)だ。これはなかなかよい。自分で仕上げたとは思えないくらいきれいである。うっとり。時を経るとともに、色合いが少しずつくすんできて、これもいい感じだ。

 ナットの成型にも結構苦労した。手先はかなり器用なのだが、視力が落ち始めていたことも関係しているのだろう、何度も失敗を繰り返した。ナット専用のヤスリもいくつか、というか、沢山買い、専用の万力や数種類の紙やすりもこれでもかというくらい用意した。それでもしばらくは思うようにいい感じのナットを作ることができなかった。6つの溝の一つでも失敗するとやり直すしかないのだ。実際に何度もやり直した。当初使っていた漂白した牛骨を無漂白のものに変えると、素材に若干の粘りがあるためか、加工の精度がぐっとあがり、それでようやく納得できるレベルのものが作れるようになった。いろいろなギターを観察したり測定したりして、なかなか勉強になった。ナットはとってもムヅカシイし、深い、ということがわかった。ナットの作り方次第で、弾き心地だけではなく、テンション、バランス、音そのものすらコントロールすることができるということがわかった。まだまだ修行が必要だ。

 PUは選んだり組み込んだり、とっても楽しいがやはりムヅカシイ。アンプとの兼ね合いもある。ビルローレンスのものはなかなか良かったのだが、いろいろと色気を出して何種類も買ってみた。ビルの奥さんのベッキーと電話でお話をして良いと思われるものを選んでもらったりして、いろいろとがんばった。この時は楽しかったがキンチョーして大変だった。ビルはもう高齢なので、興味がある人は今のうちに購入することをお勧めしたい。内部の配線もいろいろといじってみた。その後リオグランデの出力の高いPUに変えてみたり、ルーターを使ってキャビティを広げてギブソンのハムを乗せてみたりといろいろと試行錯誤を繰り返したのだが、結局ジョーバーデンのダニーガットンモデルに落ち着いた。融通は利かないが、自分的には完璧に近いPUであるように思われる。

 キャビティに銅箔を張ると音が変わる、というので、これもいろいろと試してみた。確かにノイズがものすごく減る、ということは間違いない(オーディオの知識を生かしていろいろとがんばった)、シングルPUを使うならなおさらだ。しかし音が変わる、というのは個人的には実感できなかった。それで結局今でもこの楽器のキャビティには銅箔が美しく貼り付けてある。

 ブリッジもいろいろと試してみた。そもそもボディがウォルナットでネックが極太、という標準的ではない構成であるため、オリジナルとの比較は意味が無いのだが、耳にあまり突き刺さらない、しかしそれでもテレらしい音、というのを目指してみた。ゴトーのものから始まり、Warmothで売っているVingateレプリカに変えたり(これはぜんぜんレプリカになっていないが品質はそれなりに高い)、FenderのVintageものに変えてみたり、ジョーバーデンのものを買ってみたり。プレートの厚さを気にしながらいろいろと試してみたのだが、結局調整のしやすい、分厚く精度が高い、6Wayのゴトーのものにもどすことになった。いつも感じることなのだが、日本製の部品は誠実に正確に作ってあるばかりではなく、メッキの品質がとっても高い。いい味出している。日の丸万歳だ。ともあれ、ブリッジは音作りのうえで、とても重要であることを認識した。

 重くて頑丈な楽器になってしまったので、普通のラウンドワウンド弦を使うと、弦鳴りはするがボディの鳴りはいまいちだ。それで最近は細めのラウンドワウンドを張り、重いボディを力ずくでぐわんぐわんと鳴らしている。こうしてみると、工具やパーツを集めるのはそれなりにお金がかかるけれど、ギター製作は本当に良い趣味だ、と思う。今ではPUのワインディングやフレット周り以外はそれなりにこなせるようになった。楽器の数が増えると保管に困るが、売ったり買ったりしながらこれからも楽しんでいきたいと思っている。家人の機嫌は悪いけれど。



タグ:Warmoth ギター
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Warmoth-Moon Superwide Neck Stratocaster [雑文]

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Warmoth-Moon Superwide Neck Stratocaster

 都市部に住んでいるため、夜間にアコギは弾けない。残念だが仕方がない。だから仕事の都合で深夜の帰宅が続くと、楽器に触ることができないことになってしまう。どうしたらよいのか?いろいろと考えた。クラギに消音器をつけてみたり、エレキで代用してみたり。しかしなかなか満足はえられなかった。Yamahaのサイレントギターも試してみた。なかなか良いなあ、と思ったのだが、国産ではないことが気に入らず、結局購入するには至らなかった。そんなあるとき、YouTubdeで面白い動画をみつけた。SuperwideNeckのカスタムギターだ。ネックはなんとWarmothで作ってもらえるという。
 早速WebSiteを見てみると、あったあった、、、 ストラト用しかないけれど、えらく幅の広いネックを売っている。ヒールのあたりに工夫があり、やや強引に普通のストラトのボディに幅広ネックが取り付け可能となっている。(ヒールのあたりで指板がネック本体より広くなっている)トラスロッドはモダンな重くて強いやつ。どうもそれ以外の仕様は選べないようだ。一部気に入らない部分もあるが、思い切って注文してみた。指板はフラットに近いエボニー、ポジションマークは無し。サイドドットのみとした。ネック本体は強度を考慮して柾目のメイプル。これにラウンドワウンド弦を張ってみることにした。ラッカーで塗ってもらったのだが、肌触りの良いサテン仕上げをオーダーした。(弾いているうちにつやつやのピカピカになってしまうのだが、それはまあ良い)
 数週間で物が届いた。今までWarmothから購入した部材のなかで最上級と思われるものすごく美しいネックが届いた。外見はほぼ完ぺき、木目も美しい。普通の柾目ネックをお願いしたのだが、なぜか虎目が入っている。強度的には望ましくないかもしれないが、やはり美しいと思った。指で叩いてみると、”かんかん”といい音がする。しかしこれは楽器の部材なのだから、眺めていても仕方がない。緊張しながらドリルで穴をあけ、Gotohの黒いクルーソンタイプのペグを買ってきて取り付け、その後時間をかけて慎重にナットを成型した。ネックをボディに取り付けたときは、それはそれは興奮した。幅こそ太いものの、さほど厚さはないこのネックは非常ーに強く、太めのフラットワウンド弦を張ってみてもびくともしない。あくまでもどこまでもまっすぐだ。スプリングを強化したものに取り換えて締め上げ、トレモロをべったりとボディにつけた。おかげで弦高をかなり低く設定することができた。ペグポストの高さの調節をすることで弦のテンションを弱めに設定し、結局驚くほど弾きやすい練習用のストラトが完成した。これはかっこいい。完璧に近い。音もかなり秀逸。母体となるストラトは、10年以上前にPGMで作ってもらったMoonブランドのものを使った。外したネックが遊んでしまうことになるがまあいい、そのネックを使ってエレキをもう一台作ればいいんだから。そうして部屋中がギターだらけになってゆくわけだ。家人がへそを曲げるわけだ。
 ということで、夜間は機嫌よく変態ストラトを抱えてクラシックの練習をしている。ボディがウォルナットでめちゃめちゃ重いこと以外は、文句のつけようのない楽器だ。




タグ:Warmoth ギター
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