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一本の楽器で50年楽しめるだろうか?<長文注意、内容空虚> [雑文]

一本の楽器で50年楽しめるだろうか?<長文注意、内容空虚>


もうギターを買う行為に飽和して心が動かなくなってしまった。以前は毎日のように苦しんでいたGASの発作も、最近はほとんどおこらなくなってしまった。時間がないのでギターを作って遊ぶことも事実上定年するまではもう不可能だ。いいことなのか悪いことなのかはわからないが、これで音楽そのものに集中できるようになったと言えないこともない。ヤフオクで古いFernandesの楽器が数万で売られているのを見ると、いまだにドキドキしてしまうのは秘密だ。

エレキなら、ストラトとレスポールを持っていればもうそれで完璧だという人がいる。ES175とテレがあればいいという人もいた。ES335一本あれば何でもこなせるという説にはかなり説得力があるが、やはりPRSがいいと言われればうなずかざるを得ない。テレ一本あれば、ジャズだってロックだってなんだってできるさ、という意見を聞いたことがある。また、レスポを買おうと考えたが、一生ギターを弾く決心がついたので考え直してES175 を買ったという人もいた。飽きずにぼろぼろになるまで一本のストラトを弾き続ける人は珍しくないし、ES335を年代別に何本もそろえているような凝り方をする人もいる。

10代からギターを始めて70歳くらいでヨイヨイになるとすると、まあ50年くらい音楽を楽しむ時間があるんだろうと思う。プロではないのでその50年間を1-2本の楽器でやっていくとすると何を買えばいいのか、と、真剣に考えるのは人が聞けばまことにばかばかしい話だが、私にとってはシリアスな問題だ、というかつい最近まで深刻な問題だった。いまはもう楽器に飽和してしまったので悩むことはなくなってしまった。嘘のようだが本当だ。

エレキというカテゴリーで話をするのであれば、全世界で普遍的圧倒的に人気があるのはストラトだと思う。エレキといえば、多くの人が頭に描くのがあの形、ローズ指板とサンバーストの色合いなのではないか。少なくとも私はそうだ。次がはやりすたりはあるがレスポになるのではないだろうか。古臭いと言えば古臭いが、あの小さなだるまさんのような形に郷愁を感じる人は多いだろうし、美しく盛り上がったトップの曲線を愛する人は世界中に数えきれないほどいるはずだ。私の言うことに異論をはさむ人はさほど多くはないだろう。時代によって求められる音が違うので、ハムがいい時代があればシングルがモテル時代もある。個性は違っても、2本とも将来、もしくはすでにして、古典となることは間違いないものと思われる。それならこの2本から選べばいいのだろうか?そうとは限らないような気がする。

技術の進歩によって、たとえばソリッドでもセミアコにかなり寄せた音が出せるようになっている。本来のトーンさえよければ、ボリウムは機材によって必要なだけ出せる。出したい音は音楽のキャリアを積むにしたがって変わっていくものだが、楽器の基本がしっかりしており、ある程度以上のクオリティの出音が確保されていれば、あとはわりとどうにでもなるといっていいのではないか。つまり時代が進んで技術が進歩したおかげで楽器選択の幅が広がっていると思うのだ。ほしい音を手に入れるために、何度も楽器を買い替える必要はおそらくない。なので、特定の楽器のポテンシャルに拘泥することなく、自分にとって弾きやすい楽器、愛着を持ちやすい楽器、長く使っていけそうな楽器を、難しく考えずに選べばいいのだと思う。いい時代になったものだ。つまり、私の考えは、楽器が欲しくなった時に、経済力が許す範囲で最も気に入った楽器を買って、工夫しながらそれをしつこく使い続ければいい、ということだ。上記したように、機材が進歩したおかげでキラーKillerのギターでJazzだってできると思うし、逆にフルアコでロックすることも不可能ではないと思う。楽器を買うのは楽しいというのは別のはなしになる。

さて、楽器を買う行為には飽和してしまった最近の私は何を弾いているかというと、実はテレなのだ。ストラトのポテンシャルの高さにすっかりやられてしまい、あろうことか複数のストラトを手元に置いている私なのだが、どの楽器をメインに据えていこうか迷った末にどうしたらいいのかわからなくなってしまい、基本のキであるテレにとにもかくにも戻ってみることにしたのだ。最初に手にしたESPの楽器はすでに手元になく、WarmothやUSACGのパーツを使ってくみ上げた楽器たちも熱心な弾き手たちに次々と引き取られていった。なので最近はFender Custom ShopのNocasterレプリカをずっと弾いている。私の体形で楽器を抱えてみると、普通のジャックがついたシールドでは足にぶつかってしまうため、ジャックがエル字型でテレに使えるものをわざわざ選んで購入し、腰を痛めないように気を付けつつストラップをかけて弾くようにしている。私の楽器はNocasterレプリカなので、丸太のような太いネックがついたアッシュボディの楽器であり、細部に問題はあるものの、そこそこ選び抜いた材料が使われており、なかなかいい楽器だといって差し支えなかろう。私にしては珍しく、全く手を加えずにかわいがっている。オクターブだって合わないままで放置だ。我ながら信じられない。お恥ずかしい話だが、こいつでやはり私自身の基本のキであるJeff Beckをさらいなおしているのだ。最近手に入れた新品のTS9を通したフロントの音はなかなかのもので、中学生の頃に戻ったような気持ちになって毎日そいつらを愛でている。私の楽器には手巻きのテキスペがフロントについており、テレのフロント弱っち―問題は購入当初から解決されている。シングル故多少のノイズはのるのだが、個人的には生音でJazzを弾いていけるクオリティをもった音を紬ぎ出すせるPUだと感じている。

数年前からテレでJazzを弾くのが流行っているようだ。テレをJazz領域で使うのはカナダのギタリストEd Bickertがおそらくはしりであり、やがて私も好んで聞いたMike Sternが、最近ではJulian Lageなんかが使っているのがよく知られていると思う。やはり私が好きなフロントをメインに使うわけだが、EdやMikeはハムに乗せ換えて演奏している。Julianの場合はオリジナルを使ったりP90を載せたりしているようだが、やはり時代が進んで技術が進むにしたがって音量を稼ぐ必要はなくなって、Julianなどは驚くべきことにToneが好きだと言ってオリジナルのシングルを二つのせたテレを古いふるいChampにつないでステージをこなすことがあるようだ。むかしClaptonがChampをつかってレコーディングをしたという伝説は皆さんも聞いたことがあると思うが、アメリカのロック系のギタリストで大きなホールでChampを使っている人を、名前は忘れてしまったが、実際に見たことがある。マジでびっくりした。PAに乗せてしまえばなんとかなるのでアンプ自体の音量は必要ない、トーンさえよければいいのだ、という好例だと思うのだがどうだろう。それにしても人の名前がなかなか思い出せないのは老化なのだろう。あきらめるしかない。

勢いに任せて指を走らせていると、頭の回転を超えて指が走り出すのでどうも話が長くなってしまう。話を戻そうと思うのだが、テレを手に入れれば、それで50年間楽しめるのだろうか、というのがここでのお話だ。私はそれは十分に可能なのではないかと思う。一定以上のクオリティのテレに限る話ではあるが。

テレは言うまでもないがエレキの原型のような楽器で、余計な機能は一切ついておらず、むしろいろいろなものが省略されているような印象を受ける。それゆえにどんなジャンルの音楽にも使える可能性があると思うのだ。しかしこの楽器は正直実に使いずらい。少なくとも私にとってはそうだ。実際、誰にとっても難しい楽器だと言ってよいのではないか。耳に突き刺さるような音がするリヤのPUは、いまだに歪ませずに上手に使う方法がわからない。誰か教えてくれ。オリジナルのままだとフロントPUが弱いのはよく知られた話で、FとRを切り替えて演奏するときはVを細かく調整する必要がある。また、FとRをミックスして使おうとするとバランスが悪くどうもいい音にならない。ブリッジが3Wayなのでイントネーションは悪いし、サスティンもあまりないし、音に深みも足りないような気がするし。ネックは太いし、ボディのよこにあるおかしな形をしたジャックは壊れやすく実に使いにくい。コントロールは最小限だしフロントとリヤのPUのVもTも共通で独立していないのでMixしたときのバランスを変えることができないし、演奏中にトグルスイッチを使うと派手な音がするし、立って演奏しようとするとバランスが悪いし、肘とおなかにボディの角が当たって長時間演奏すると実に痛いし、言いたくはないがそもそもカントリー用に開発されただけあって見かけがなんともジジくさいし、ヘッドの形など蛇の頭みたいで美しくないし、、、あげつらえばいくらでも苦情が出てくるのがテレだ。

以前にも書いたのだが、若いころに自慢のテレでKISSをやったときは仲間たちが笑ったものだった。当時持っていたESPのテレには、奮発してダンカンのPUを載せてみたのだが、今と違って選択の幅が狭く、ESPのオリジナルのPUよりビンテージよりのさらに渋い枯れた音になってしまい、当時やりたかった音楽に求められる音とはさらに遠くなってしまったように記憶している。エフェクターだって今のように選び放題ではなく、好きなだけいい感じのひずみを手に入れることなどなかなかできないことだった。しかしそれでもあきらめずにそのテレを弾き続け、レインボーやツェッペリンなどを飽きずにコピーしたものだった。22F必要な曲がでてくると必死にチョーキングしてごまかしていたあの頃が懐かしい。

そうやってロックな時代をやり過ごした私だったが、次にやってきたフュージョン(当時はこう呼んだ)の時代はさらに厳しかった。ハムがついておらず、サスティンも効かないテレキャスは、私の周囲ではテレカスとよばれ、楽器の買い替えを迫られたものだった。しかしそれでもしつこくテレを使い続けた私は、ついにJazzの入り口に。そのあたりで挫折して、音楽とは縁のない仕事をするようになった私は楽器から離れてしまった。

再開したのはかなりトウがたってから、米国の地を踏んだ時だった。当時は弾くよりも作ることに興味があり、現地でパーツを買い集めて作り上げた(制作ではなく組み上げにすぎない)最初の楽器は、やっぱりテレだった。自分でやってみればわかることなのだが、楽器をくみ上げることでその楽器に対する理解が深くなり、おのずとテレの設計のすばらしさを知ることになった。楽器は2Dではなく3Dなので、図面を見てわかった気になるのは危険だ。せめて自分でくみ上げてみなければこれを生み出すまでの苦労は理解できない。やはりLeoは音楽の神様が地上に放り投げた天才のような人なのだと思う。ホントこの楽器よくできてる。手を加えるなんで許されないと思った。しかし能天気な私は、その後テレにストラトのネックを組んで、レスポのPUを取り付けて、いい楽器ができたと喜んでいたのだ。神をも恐れぬ所業だ。その後たくさんの月日が流れ、すっかり音楽に疲れてしまった私はそれでもオリジナルの良さにめざめてしまい、結局大枚をはたいてNocasterのレプリカを手に入れて一切いじらずに今日に至っているというわけだ。

この間、ストラト、テレ、セミアコ、フルアコ、クラギ、等々たくさんの楽器を買ったり作ったりしてきたのだが、結局今手にしているのはNocasterのレプリカだ。怖くて手を出していないのはアコギだけだ。いままで自分がやってきたことをつらつらと考えてみると、いいテレ一本あれば、すべてカバーできたのではないかと思わざるを得ない。ただ、同じことをストラトでやるのとテレでやるのは要求される腕のレベルが違い、テレでかっこよく何かをやろうとすると、よく言われるようにごまかしがきかない楽器なので、より高く安定した水準のテクが必要になることは間違いない。逆に言えば、腕を上げるのには最適な楽器といえないこともない。ああ、話が拡散してしまった。いつもの私の飲み屋での会話のようになってしまった。

このように、振り返って考えると、私自身の場合、テレ一本あれば事足りる音楽人生であった。実際は無理だと思うが、音楽人生を始める際に30万くらい用意してできるだけいいテレを手に入れて、そいつを手放すことなく手を入れたり改造したりしながら弾き続ければ、結構充実して楽しい、納得のいく音楽人生を50年近く送ることができるのではないかというのが私の正直な考えだ。あ、そうだ、Fujigenのテレを買えば10万円程度で十分に高品質なテレを手に入れることができるとここで言っておきたい。最近の私は、できるだけテレだけを弾くことにして、残りの音楽人生をヨイヨイになるまで楽しみたいと切望している。


長文をお読みいただき、感謝。

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