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国分寺 玉川 おおもり  756円 [日本蕎麦]

国分寺 玉川 
おおもり  756円

自分自身にとってゆかりの深い場所の周辺を歩いて、おいしいお蕎麦屋さんを探してみる。悪くない遊びだ。玉川は、地元の人しか知らない、地元限定の銘店である旨記してあるWebサイトを見つけた。それで足を運んでみた。交通量はあるが、結構細い弁天通沿いに車を走らせると、あったあった、すぐに見つけることが出来た。駐車場はお店の前と後ろにあると聞いていたが、あまり広くはなく、残念だが安心してクルマを止めることができるつくりにはなっていなかった。しかしお店の方がにこにこと誘導して下さったので、腹を決めてクルマをとめ、お店に入り込んだ。小上がりとテーブルのたくさんある、結構大店のお蕎麦屋さんで、お店のお子さんがお皿を片づけたりする、家族的な雰囲気のお蕎麦屋さんだった。なるほど。

それでメニューを開かずにいつものようにおおもりをお願いした。お店は初老の女性と中年の女性が切り回しており、厨房にはやはり初老と中年の少なくとも2名の男性が詰めている様子。それなりに時間がかかったが、お盆に乗せてせいろに乗ったお蕎麦が供された。お蕎麦はすごく細くなよなよ系だ。角もきりりとしているという感じではない。機械打ちでなければできない細さ、麺の均一さだ。予想通り、めちゃめちゃ長ーいお蕎麦になっている。意外なことにやや透明感があり、さらにさらに星が数限りなく舞っているという個性豊かなお蕎麦だ。お蕎麦の薫りがしっかり、というふれこみだったので、周囲の環境からは完全に離脱して、お鼻をお蕎麦にぺったりとさせてお蕎麦の薫りを胸いっぱいに吸い込んでみた。確かにお蕎麦の素晴らしい薫りが胸を満たす。看板?にいつわりなしだ。しかしなぜか全体をおおうつなぎの薫り。小麦系の、嫌な薫りというわけではないのだが、少し鼻についてしまって残念だ。私がお店にうかがった日は真夏日で、お蕎麦のしめに使っていたお水が冷たくなかったことが関係しているのかもしれない。

それで、いつものように数本のお蕎麦を手繰って、、、とやってみるのだが、各々のお蕎麦が長ーいためにお箸をものすごく高く掲げないとまとめられない。やや閉口。それでもなんとか手繰りきって数本やってみると、確かにしっかりとしたお蕎麦の薫りだ。お蕎麦は細いのに噛みごたえがあり、のど越しも良好。常識外れの長さと、つなぎの薫り以外は満足のいくものだった。

蕎麦つゆは、、、。蕎麦猪口に移して少しだけ啜ってみると、、、。これはこれは、なんどいうか、完成された一つの形になっている。しっかりとした鰹系の出汁をベースに味醂というよりはお砂糖系の、微妙に焦げを感じさえるなんともいい感じの甘さが加味されているのだ。味わいは塊となって舌を喜ばせ、素材ごとのバラバラ感は皆無だ。だから細かい分析がしにくいとも言えるけれど、一口啜ってみれば”旨い”という人が多いであろう味になっている。ものすごい高級感は無いが、これはこれで素晴らしいものだと思う。おいしい。技ありだ。

薬味はワイルドなさらし葱と上質な粉山葵。あらかじめ準備されていて多少乾いてしまっているように思われたが、味わっていると両方とも悪くないと思った。特にお葱はおそらく地元で生産されており、新鮮で味わい深いものだった。

それで、お蕎麦を蕎麦つゆにくぐらせて、、、、とやってみるが、お蕎麦があまりに長いため、箸でさばききれない。結局”どぶり”と付け込んで、ずるずると啜る羽目になった。これは残念だった。あまり粋ではないかな、と。しかし、めげずにずるずるとやっていると、だんだんにここのお蕎麦に慣れてきて、お蕎麦、つなぎに完成度の高い蕎麦つゆが混然一体となって私を異次元に運んでくれ、上質な蕎麦タイムを過ごすことが出来た。

お蕎麦と同時に供されたのでややぬるくなってしまった蕎麦湯を全て飲み干し、お店を後にした。ご馳走様でした。

入り口の壁に、三門会という額があり、玉川、中清、昌久とあった。中清はあの中清か?ということであれば、昌久にも行ってみるしかなかろう。楽しみが増えた。

良い;国分寺というよりは立川にある、地域に密着したお蕎麦屋さん。地元の方たちにとって、なくてはならないお店なのだろう。
もっと良くなる;このままでいいかな?
また行く?;機会があればYes
総評;国分寺にある、気取らない家族で楽しめるお蕎麦屋さん。さりげないお店だがお蕎麦のレベルは侮れない。地元の銘店。
トイレ;未使用
駐車場:広いがお客さんが多いので、今一つ安心して駐車できない

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