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徒然 Mazda2 2022/1-1 アメ車を購入すべきかどうか [クルマ]

徒然 Mazda2 2022/1-1 アメ車を購入すべきかどうか


これを書き収めにしようとしていたのだが、文章がまとまらずに書初めになってしまった。まあ私の人生はこんなのものでいつだって行き当たりばったりだ。

どこかに書いた気がするのだが、キャリアが長いプロドライバーの方がおっしゃるには、外車に長く乗るのであれば、イタフラは問題外、ドイツ車は意外とダメ、やっぱりアメ車が一番ということであった。通常の整備をして、換えるものをかえつつ日常的にそれなりの距離を走っていれば30万㌔は軽くいけるとのこと。この方の言葉には重みがある。しかしそれなら大好きな私の母国、日本でアメ車を手に入れることを考えるかというと、今のところ答えはNoだ。アメ車は好物なのだが。


私がはじめて北米大陸に上陸したとき、大陸全てがN.Y.になったような延々と続く大都会なのだろうと漠然と考えていた。しかしそれはとんでもない間違いだった。我ながら恥ずかしい。私はそれまでに遊びで北米大陸を訪れたことはなく、初めての訪問は結構シリアスな仕事の上でのことだった。北米の文化はコーラとハンバーガーを超えてある程度は知っているつもりでいたし、現地人の友人などもいたのだが、当時の私はリアルな米国のことはほとんどまったく知らなかったと言ってよいだろう。印象として日本との類似点が多いように感じていたが、実際に長期間住んでみると中身は驚くほど違っているのだ。当時はそれを知らず、現地で少しずつ、ショックを伴った気付きを得たのだった。さて、クルマの話だ。


西海岸には複数の大きな都市があり、米国が始まった場所である東海岸にも当然大都市がある。中西部にはシカゴをはじめとする大きな都市が幾つかあり、いまだ詳細は知らぬが南部にもやはり大きな都市が数々あるらしい。米国滞在中に南部にも行ってみたかったのだが、じつは現地の後輩(白人女子)に“アジア系は正直歓迎されないこともあるから、行かないほうがいいかも”と真剣な忠告を個人的に受けたことがあり、Orientalである私は身の危険を感じて逃げてしまったのだ。笑いたければわらってくれ。でも現地では5000円で買えてしまう鉄砲はやっぱり怖いからね。ともあれ、実際にそういった大都市の間のどこか見捨てられたような小さくまとまった街に住んでみて、北米大陸は、大きな都市以外はほとんどの場所が荒野なのだという事を実感を持って知ったのだった。だって野生のバッファローとか現代でも生活しているんだよ大きな群れを作って。野生のでっかい鹿だってなにを食べているのか知らないけれどけっこう自由に沢山自活しているし(高速道路で挽かれているのを見ると悲しい気持ちになる)、街中にいるプリッとしたお尻の可愛いリスなんかはいろんなところをかじり倒すので“公害”と呼ばれていた。かわいいリスを”公害”だよ?リス料理専門店なんていうのもあったよ!いったことないけど。びっくりしたよそれは。また、慣れると自分でも見えるようになる、群れを作って野原でまったりしている七面鳥だって、街からほど近い荒野で自活している。終わりがないのでこれくらいにするが、とにかく、自分自身も街中にいないときは動物たちと同じ、つまり荒野に一人ぼっちという事なので、文字通り自分で自分や家族を守る必要があることをひしひしと肌で感じた。というわけで、ここで話はようやくクルマのことにもどるのだが、クルマを選ぶときに最も重視したのはまず信頼性で、次に経済性、そして最後に安全性だった。クルマは自分を守ってくれる”鎧”でもあるし、荒野を安全に渡りきるための”馬車”でもあるからだ。

米国ではメキシコで作られたVWが結構安かったし、それ以外のヨーロッパ系のクルマも日本で買うより割安だったと思う。地元米国のクルマはかなりお値打ちだったのだが、当時私が住んでいた地域ではあまり人気がなかった。大型のキャビンが付いたトラックも、本場物の米国製より日本製が人気だったように思う。アメ車の独壇場であるはずなのだが。私のお隣さんもToyotaのびっくりするように大きなトラックに乗っていたっけ。でも日本じゃとても置くとこないと思った。まあ、それでもアメ車があきらめられない私はレンタカーを借りて走り込んでみたりしたのだが、結論として、かの地のクルマを買うのは、いろいろ余裕ができるまで待った方がいいかも、と思うにいたった。最初に試したのはFordの小型車だったと思うのだが、作りは悪いががっちりと頑丈で、壊れても自分で修理できそうなので真剣に買ってみようかと思った。郷に入っては郷に従え、米国じゃあアメ車に乗らないとね、というわけだ。ホントはそういう選択をしたかった。それで実際ほとんど買いそうになったのだが、ある時、街はずれで思い切りアクセルを踏みこんでみたことがあり、その時、目に見えるほどの勢いでみるみる燃料が減っていったのですっかりびびってしまった。また、やはりFord製の人気がある中型車、まったりと走るためのステーションワゴンを借りて乗ってみたところ、警察の点数稼ぎと思われる検問に引っかかってしまい、罰金を取られた。これがきっかけとなり、Fordのクルマはどうも自分とは相性が悪いと、泣くなくあきらめることにした。まあしかたがない。上記のプロドライバーはシェビーのファンだと言っていたが、わたしはアメ車の中ではやっぱりFordが好きだ。だからFordをあきらめるという事は、私にとってはアメ車をあきらめるという事になる。その後購入を考えたドイツ車などのヨーロッパ系の輸入車は現地で修理してくれるところが限られているらしく、アクセスが悪く値段も安くない、修理に時間がかかるし上手に直せるメカニックはあまりいないなどと、現地で知り合った親しい人たちに注意された。それでこちらも泣くなくあきらめた。家人も“外車”にのることを不安がっていたことだししかたがない。結局クルマで楽しむことはあきらめざるをえず、米国ではクルマを実用品と割り切るしかなさそうだと腹を決めた。少なくとも自分にとってはそうだった。これはかなり悲しい決断だった。読み返すと、何度も何度も“あきらめた”と書いている。我ながら本当に悲しかったのだと思う。

実用性を最大限に重視して信頼性の高いクルマを買おうとすると、結局日本車を買うことになってしまう。やはり客観的にみると日本車は抜きんでて優秀なのだ。せめてあまり数が出ていない、いままで所有したことのないSubaruを手に入れようとディーラーに行ってみたのだが、割とマイナーな存在であることと、私の職場から一番近いディーラーに相談に行ったところ、近くに巣を作っているらしいなんか鷲か鷹のような鳥が上空からマジで私を攻撃してきたので、悪夢を見ているような気分になってSubaruを“あきらめて”しまった。その店では4WDつながりでAudiも扱っており、こいつにも興味を持っていたのだが、やはり鳥に頭をつつかれるのは嫌だしなんかそこに行ってもどうにもくつろげないのでやめてしまった。また“あきらめて”しまったわけだ。残された選択肢は日本車になるわけだが、今は大好物になっているマツダ、スズキは当時は選択肢に入らず、ダイハツは当時北米に販売網を持っていなかったので候補にも上らず、最後に残ったのが慣れ親しんだ日本車であるトヨタか日産という事になった。日産がいいクルマを作るのは分かっているが、現地のクルマはデザインがやや大味で現地生産が多いのでパスした。米国で作っている日本車には私自身全く興味がない。現地に合わせた面白いクルマももちろんあるようには思うのだが、私的には日本車は日本人が作ったものでないとだめなのだ。おそらく世界の多くの人たちもそう思っているだろう。日本のクルマは真面目で強迫的で細かい、少なくともそう信じられている、日本人が作っているから信頼性が高いのだ。偏見かもしれないがあながち誤りではないだろう。まあ、それで日本で作って北米大陸まで輸送しているというモデルをわざわざ選び、店頭できっちりとそれを確認して、最終的には近くの大きな街から取り寄せる形でトヨタを買った。小さくて経済的な小型車に見るからに外人とわかるような私のような男が乗っていると、格好の取り締まりの標的にされるのだ、ということを親しくなった警察官の奥さんに教えてもらったので、アドバイスに従って小型車は避け、中型のSUVを買うことにした。当然ピカピカの新車だ。米国では新車を買うことは“stupid”と言われることが多いのだが、どこの誰がどんなふうに扱っていたのかわからない命を乗せる乗り物に家族を乗せるのはやはり怖いと思うのだ。値段はそこそこしたのだが、それにはとりあえず目をつぶり、もっとも信頼性が高いと思われるカムリと同じ2.4リットルの小さめのエンジンを積んだモデルをあえて選んだ。すべてがトヨタの“枯れた技術”で作られているクルマで、トヨタのクルマの中でも特に信頼性が高い一台だと評価して選んだ。残念ながらマニュアルシフトの設定はなく、確かOD付の4速オートマという渋い設定で、北米のまっすぐな道であれば30万㌔くらいは軽々と走れるのではないだろうか?と期待した。青いメタリック塗装のごく日本的なモデルだった。結局シフトレバーを操る楽しみも“あきらめた”ことになる。

これは期待したとおり信頼性の高いクルマであり、私と家人を何年もいろいろなところに運び、仕事を助けてくれ、休日を楽しいものにしてくれた。以前に小型車に乗っていたころは上記したように何度か警察の点数稼ぎの餌食になっていたものだが、このクルマに代えて、必ず家人を乗せてカップルで行動することを心掛け、簡易なものであってもジャケットを着用してネクタイなどもするようになってからは警察官の態度ががらりと変わり、一度などはSpeedingで捕まった際に見逃してくれたことさえあった。まともな人間だと認識してくれたのだろう。このころ、時間が余ってすることがないとよくドライブをしたものだったが、Highwayを走っていると道端にクルマが壊れて止まっていることが珍しくなかった。これは車の信頼性をある程度反映しているように思うのだが、壊れて止まっているクルマは地のクルマ、とくにトラックが多い印象だった(当時、トラックを乗用車として使う人が多かった)。一方の我らが日本車が“えんこ”していることは10年前後の米国暮らしで、一度も目にすることがなかったと思う。クルマのメーカーを国籍でまとめて評価することはやはり不適切だとは思うが、米国在住中に、やはり日本車が世界で最も信頼性が高いようだ、と深くふかく心に刷り込まれてしまった。


思い出が次々と湧いてきて言いたいことがたくさんありすぎるので、話がまとまらず、長たらしくなってしまったが、米国に住む日本人であった自分は、やはり慣れ親しんでいる信頼性が高い日本車を買うのが最良の選択であった。現在日本で暮らしている私は、いつ車が壊れても困らないような、余裕がある生活が手に入ったらアメ車を買ってもいいかな、と考えている、というおはなしだった。それまでは、日本に住み続ける限りやはり日本車か、冒険をしても定番のドイツ車か、ということになる、つまらない選択だな、どうも。おそまつ。

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