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2022/07/26   水回り修理 [Home Improvement]

2022/07/26   水回り修理



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水回りの修理は曲者だ。まず第一に、集合住宅の場合、失敗すると周囲のご家庭に迷惑をかけることになる。また、使ってある部材について、調べるのが必ずしも簡単ではない。さらに、製造会社によって規格が違っていたり、同じ製品を違う名前で売っていたり、部外者を嫌うギルドのような領域のように見える。しかしそれも、ネットが浸透することによって変わろうとしているようだ。さて。

今回の問題は、混合水栓がきっちりと締らないことだ。水栓を締めたつもりで乾燥機を回しても、浴室の床がしっとりと塗れていたりする。しばらく様子を見ていたが、なんとも気持ちが悪いので介入することを決めた。失敗が許されない作業なので、いろいろな切り口から散々調べた。混合水栓の製造会社や品番は比較的簡単に調べることができたので、当初は水栓を丸ごと取り換えるつもりでいた。しかし水栓内部の混合栓切換え弁を取り替えることができれば、恐らく機能を完全に回復することができることがわかってきた。ので、最低限の介入にとどめることにした。パーツの品番を調べ、内部の構造を調べ、私の技術と手元の工具で交換できるかどうかを慎重に検討、、、したところ、十分可能とでた、というか勝手にそう思い込んだ。パーツは6000エンくらいのもので、水栓ごと取り換える場合の10分の一以下のお値段だ。それをMonotaroで半値前後で手に入れることができた。無駄にならなければいいな、とおもいながら作業にとりかかる。

まず水量調節弁を絞って水をとめてっと。水栓を全開しても水が出てこないことを確認。ここまでは簡単だ。次に切換えハンドル、そして止水固定ナットを外す、、、おっと、手では回らないなこれは。ナットは非常に大きいのでウォータープライヤーの出番だ。道具がなければ先に進めないところだ。ここもクリア。その後、混合弁の奥深くまで差し込まれている混合弁切換え弁を外すのだが、、、これが奥の方で固着していてかなりの難関だった。切換え弁は二つの筒のようなパーツを組み合わせてあるのだが、外側は程度がよく、傷んだりしていないのだが、奥深く挿入された部分のゴムのようなパーツが半ば溶けてしまっており、周囲の鉄部分に張り付いたようになっている。押したり引いたり回したり、いろいろやってみてもだめだ。途中で二つの筒が分かれてしまうと、奥の部分を取り出せるとは思えない。さて困った。昔から言われているように、“押してもだめなら引いて”みた。それでもやはりだめ。ぐりぐり回して最初からやり直したところ、スポンという音とともに切換え弁全体が抜けてきた。とともに、シャワーホースにたまった水が逆流してきてずぶぬれになってしまった、が、成功は成功だ。この後の作業は簡単なものであり、新しい弁をちゃっちゃと挿入してその他のパーツをじっくり観察しながら元に戻して完成だ。結構よくできている。真面目に作ってある良い製品で(それでも70000+エンってどうなんだろう、高すぎる)、消耗品が供給されさえすれば、あと10年程度は使えると思った。うん、満足だ。

しかしその後の調整がやや面倒であった。水とお湯の水量調節弁を緩める際に、何回転回したか記録しておかなかったため、適当に元に戻してもどうも湯温がぴったり来ない。指定の表示をクリック部分に合わせた時に40度のお湯が適量出てくるように調整しないといけないのだ。これに時間がかかった。何度も調整を繰り返したところ、お湯の弁を開けすぎると、なぜか湯温が上がりにくいということが分かったので、まず、最高に熱いお湯が出るように湯量を設定し、あとは冷水の水量を加減してなんとか収束させることができた。仕上がった混合栓は新品同様とはいかないがきれいな光を放ち、機能が自分の手で100%回復したことで、満足のいく作業となった。細かい部分もいろいろきれいにしたしね。使い心地は上々で、ハンドルは軽々と回り、湯温は繊細にコントロールされている。実際に使ってみると、ちょっといいホテルに泊まっているような感じで、頑張った甲斐があるというものだ。Home Improvementはうまくいくと大変楽しい体験となる。失敗すると地獄だけれどね、うん。



その後、シャワーは快適に使えている。めずらしく家人からお褒めの言葉を賜った。ありがたや、ありがたや。
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2022/ 08 / 03 Kiss とTomo Fujita [音楽]

2022/ 08 / 03 Kiss とTomo Fujita



子供のころKissをよく聞いていた。音楽としては正直あまり好きではなかったが、当時の友人たちがみんなKiss大好きでのめり込んでいたので付き合ったというわけだ。Originalメンバーが日本に来た頃の話で、みなそれぞれ魅力的なMusicianであったが、とくに技術的に秀でているわけではなく、なんというか、ShowMenとしては素晴らしいバンドだったのではないか、そんな印象を持っている。その後、おそらくメンバーを代えながら今でもバンドをやっているのではないかと想像するが、しばらく前に、彼らについてちょっと悲しい、考えさせられる話を聞いた。真偽は確認していない。それはつまり、彼らはHispanicに属する人たちで、いわゆる普通の白人ではないのでこのままでは頑張っても売れないことがわかっていたので、派手な化粧で出自が分からないようにしてマーケットに打って出たのだ、と。つまり、あの能天気なメークアップの裏には微妙で難しい問題が潜んでいたという。私としては、かしこいなあ、大人っぽく割り切っていたんだなあ、子供のころはそんなこと全然わからなかったなあ、などと思う反面、なんだかやっぱり悲しいような気もしてしまう。そういえば伝説的なエルビスだって、African Americanの人たちの音楽を白人がやってみせたので大衆に受けたのだ、と一部の人たちには考えているようだし、私自身もそう思う。

さて、TomoFujitaさんなのだが、ギターの先生としてたいへん有名で、私も教則本を買ったりYoutubeを楽しんだり、ずいぶんとお世話になっている。素晴らしい先生であることは間違いなく、異国に溶け込んで大活躍しておられる。同地で長く働いたことがある私なので、いろいろ難しかっただろうに、よくやっておられるなあ、芯が強い人なんだろうなあと想像している。Tomoさんは心の底からギター音楽を愛しておられ、人生を捧げて、それも彼なりのどこか明るいやり方でやっておられるようで、うらやましい限りだ。留学前、おそらく地元では有名なギタリストであったのだろうと想像する。しかし渡米してみれば、信じられないほど上手な人がごろごろしており、そういった才能に恵まれた、努力を重ねてきた人たちが必ずしも報われるわけではないことを自らの目と手で垣間見たのではないかと想像する、というかほとんど確信する。バークリーで頑張って、頭角を現してバンド活動などもしておられたようだが、おそらく様々な壁にぶつかったのではないか?文化と人種の壁というやつだ。あ、言ってしまった。さらに音楽家といえども言葉の問題もあったのかもしれない。営業とかしないとだめだしね。それでもMusicianとして活動を続ける方向性もあったのだろうと思う。Polularな音楽をやるのか、Jazzに行くのか、Studioで働くのか。TomoさんはStudio Musicianを目指したと聞いたがそれはおそらく本当だろう。しかしそれもあまりうまくいかなかったので、音楽の教育に携わることにしたのではないだろうか?彼が人に教えることが上手なのは間違いないが、Musicianメインではなく、教育者になることをあえて選択したのだろう。そう思わずにはいられない。幸いにして彼はそう言った立場が結構好き、というか気に入ったのではないか?そうでなければ30年も続かないはずだ。才能があって努力を欠かさなかったとしてもだ。

KissとTomo Fujitaを関連づける人は世の中に多くはないだろうが、電車の中でそんなことを考えた。時間がないので雑な文章だが、言いたいことを忘れないうちに形にしてみた。

タグ:kiss Tomo Fujita
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