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日本のクルマを買ったよ  -お年寄りの運転- [クルマ]

日本のクルマを買ったよ  -お年寄りの運転-

事故に巻き込まれた!

落ち着いたら顛末を書いてみようと思う。
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日本のクルマを買ったよ   -カマを掘られた1 - [クルマ]

日本のクルマを買ったよ   -カマを掘られた 1 -


気分よくいつもの高速道路をのんびりと走っていた。いつもの場所でいつもの渋滞、、、よいしょっと、、、、おお、結構危なかった。でも余裕で停まれた。このクルマのストッピングパワーを見よ!いつもながら惚れ惚れするぜ。後ろの奴は大丈夫かな?バックミラーを見ると、大きなクルマがどんどん近づいてくる。しかし減速しているので大丈夫だろう、、、、その瞬間 “がしゃーん!”“うわー!”体が前に振られて、その後後頭部がシートの枕にたたきつけられた。目の前は真っ白だ。ひょっとすると瞬間的に意識が飛んでいたかもしれない。しかしエアバッグが開くなど、それ以外の事は何も起こらなかった。それから冷静になった。“くそ、カマを掘られた”“ふざけんなテメエ”。

後ろのクルマから年寄りが謝りながら歩いてくる。睨みつける。幸いにして“そっちは大丈夫なの?”と尋ねる余裕がある。それでクルマを路肩に寄せて、110番通報。謝り続ける年寄。警察から正確な場所を、と尋ねられるが、なかなか答えられない。ナビを付けていることを忘れており、数秒後にそれを見て警察官に答えることが出来た。そのまま車の中で待つ。やはり冷静さは表面だけのものだ。

家族や職場や保険会社に連絡を取る。割と落ち着いてこなす。おや?首と腰の様子がおかしいぞ、なんかふわふわする、、、。病院行きだな。年寄りが持ってきた免許を見て、情報を写し取る。そんなこんなで必要な作業をしていると、高速道路の職員が来てくれた。迅速だ。それで安全を確保して、私の健康と安全を確認し、そのまま待つよう指示した。

警察が到着するまではかなりの時間がかかった。高速なので周りのクルマは高みの見物だ。にやにや笑っている奴までいる。腹が立つが仕方がない。年寄り謝り続ける。年寄りのクルマのナンバーや車種などを細かく控える。警察が到着すると、我々2名を別々に質問。渋滞だったので停まったら追突された、車間距離が足りなかったのではないか、注意が足りなかったのではないか、と指摘、警官の書類作成を手伝う。情報を渡す。私の担当の警察官は比較的感じが良く、同情的だった。しかしそんなことは何の救いにもならない。私は早朝の高速道路の上で凍えているのだ。

情報を交換し、警察の調書が取れたので、もう行ってもいいという。体調がおかしいので人身事故として扱うことを求めると、書類を作成し、診断書を送れと言う。事故を起こしたのは年寄なのに、どうして俺が、、、というのがほんとうのところだ。年寄りのところに行き、体の調子が悪いので病院にいく、大切にしているクルマなので完璧に直す、協力しないとものすごく怒るぞ、と伝えた。警察も聞いていたはずだ。うなずいている。年寄りは保険に入っている、代理人を立てる、自分一人では決められない、自分はきちんとした人間だ、などという。タバコなんかも吸っている。さすがに頭にきた。蹴りをいれてやろうかと思った。出来るだけのことをします、などと口にするのがまともな日本人というものではないだろうか?世の中謝るだけでは済まない事があるのだ。オレが血まみれになっていても、保険に入っている、代理人が処理するというのだろうか?たぶんそうなのだろう。怒鳴りつけるべきだったのだろうか?しかしそれはせず、クルマをチェックしてから職場に急いだ。怒鳴っても頭に来るだけだ。その後年寄りは警察官に囲まれて説教されていたが、事故を起こした人間がのうのうとしているというのはどうにも納得のいかないことだった。車に乗っていれば、オレのような大男でも年寄に殺されることもあるのだ、ということをひしひしと感じた。

痛みをこらえながら最低限の仕事を何とかこなし、医者にかかって診断書をもらい、相手方の保険会社と何度も話をして手続きをすすめた。なぜオレが起こした事故ではないのに、痛みに顔をゆがめているオレが手続きを?ものすごく不条理だ。しかも大切なクルマの尻は醜くゆがんでいる。保険会社の担当者にも、クルマを完璧に直すので協力しろ、きちんとしないと怒りますよ、と釘を刺しておいた。しかし繰り返すが何故オレがそんな交渉を?オレは暇ではないのだ。相手方の保険会社の対応は適切なものであったが、車係と怪我係が分かれているので一人では全てに対応できないのだという。自分たちの都合で物事を勧めようとするのは正直腹が立った。

オレももうすぐジジイになるんだ、年寄の運転も受け入れるべきだ、と昨日までは思っていた。しかしいくら人の好いオレでも今日は意見を変えざるを得なかった。年寄の身体能力には個人差が大きく、運転すべきではない人もいる。

ブレーキもきちんと踏めない奴には運転させるな!
俺も駄目になったら運転をあきらめる。
このジイサンみたいに人に迷惑をかけるのは嫌だからだ。

続く(後ほど書き直す可能性高し)

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日本のクルマを買ったよ   -カマを掘られた2- [クルマ]

日本のクルマを買ったよ   -カマを掘られた2-

頸が痛い。頭痛がする。
腰が痛い。座ったり動いたりするたびにウッと声が出てしまう。

保険会社は支払いを渋り、事故に対応するための書類の作成は煩雑だ。

保険会社に押し付けられた代車に仕方なく乗っているが、乗っていてもつまらない。
いつもの調子で走っていると、危なくて仕方がない。
燃費が驚くほどいい事だけが救いだ。
通勤の喜びは、文字通り痛勤になってしまった。
なんという喪失だろう。

自分の過失は零なのに、痛みに耐え、自分のクルマに会えないでいる。
なんという不条理なのだろう。

数日前に路上で銀色のFD2をみた。自分のクルマかと思った。
先日青いメタリックのFD2をみた。高級感はないが、美しい形をしていると思った。

自分のFD2に一日でも早く会って、またのんびりと走り回りたいものだ。
しかし私が満足できるレベルにクルマを仕上げてきてくれるだろうか?
Hondaさん、頼むよ。

続く

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日本のクルマを買ったよ   -カマを掘られた3- [クルマ]

日本のクルマを買ったよ   -カマを掘られた3-
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突然帰ってきたFD2

保険会社からは何の連絡もないのだが、ずいぶん時間がたったのでディーラーに連絡を取ってみた。すると、もう工場から戻ってきているというではないか。なぜこんなに待たせているのに誰一人連絡の1つもよこさないんだ?さすがに頭にきた。しかしディーラーに文句を言っても仕方がないので、ぐっと飲み込んでクルマの受け取りの日時を相談した。だって早くFD2に会いたいではないか。

数日待って、休みを取ってディーラーに。すると汚れそうなところをテープで保護した姿で我がFD2がニコニコと私を待っていた。ずいぶん久しぶり、実に1カ月以上ぶりだ。こんなに長くこいつを人に預けたことはこれまで一度もなかった。“我が信頼するメカ氏”にどんな修理が施されたかを説明してもらったところ、随分大胆に鉄板を切断し、フレームのゆがみなどもチェックしたうえで溶接、塗装、磨き、、、諸々の調整を終えて帰ってきた、ということだった。その後彼が自分自身で検品~調整してくれたという。査定してもらうと、事故のせいで評価額が数十万円下がってしまったのこと。これは許しがたい。昼行燈のような保険会社と交渉だ。その辺りの事は保険会社や加害者との交渉が終わってから書いていこうと思っている。ほかにもいろいろと書きたいことがあるのだ。しかしそれはまた機会を改めることにしたい。さて。

とりあえずクルマのチェックだ。壊されたと思しきトランクやトランクリッドなどは、きれいに直されている。直した部分とオリジナルな部分は、やはり色調にやや差があり、古くなったオリジナルの塗装は5年の月日を経て金色がかったガンメタなのだが、新しい部分はピカピカのガンメタだ。しかし違和感なくかなりきれいに直してくれてあり、塗装もキチンとやりなおされていると言ってもいいだろう。東京で一番大きく力のあるディーラーが持っている板金用の工場で直しただけのことはある(Honda談)。今のところ、修理に文句はない。しかし塗装が乾ききっていないためか、なんだかぺたぺたしているような部分もある。これは気になるのだが大丈夫なのか?内貼りなどは全て新しいものに取り替えてあり、スポーツサスペンションの減衰力調整のために内貼りに空けた窓もきれいにあけなおしてあった。事故って唯一、よくなった部分だ。(アクセスのスポーツサスを装着している人にしかわからない話かも)あとはもとどおりの私のFD2であり、たとえば細かい飛び石の跡などはまったく直してくれていない。当たり前だが。せっかくなのだから、お金は出すから、悪いところを全部塗りなおしてもらえばよかった、なんて思ったりもした。


近くから眺め、遠くからラインの乱れなどをチェックした。手で触ったり押してみたり。溶接の跡はちょうどフロアカバーで隠れてしまうため、一見したところ、事故の傷跡はまったく見えない。しかし走りはどうなのだろうか?もろもろ、小さな問題があるのではないだろうか?きあいをいれてチェックだ。

それでさっそく車を取り戻し、峠に向かった。おお、これこれ。これだよ。セミバケに体を押し込んで、久しぶりの感触を確かめる。懐かしい。ほんと落ち着く。それからポジションを何度か変えてみる。ハンドルのテレスコとチルトを駆使してベストポジションを探す。このクルマなら自分の巨体にぴったりに合わせられる、素晴らしい。それからミラーだ。そこまでやってようやくエンジンに火を入れる。そうだ、このクルマはボタンを押して点火するんだっけ、、、“ボウン”、、、という鈍い音と共にK20Aが目覚める。久しぶりだ、この感じ。距離を重ねたためか、エンジンの身震いはかなりの大きさで、むちうちで痛む首と腰を揺さぶる。おお、大丈夫だろうか?うう、なんとか大丈夫そうだ、、、。
そしてゆっくりと道路へとのりだす。太いタイヤ、固いサス、しっかりとしたボディ。高級感がない内装がぎしぎしと音を立てるのはあいかわらずだが、それもご愛嬌だ。少しずつ、アクセルを入れていく。みるみる加速する。周りの景色がきれいに、しかしすごい速さでうしろに流れていく、、、飛んでゆく。

なんというダイレクト感、なんという安心感。久しぶりに回すエンジンは機嫌が悪く、なんだかさえない音を立てている。しかしそれは時間の問題だろう、すぐにいい音で歌ってくれるようになるだろう。最初はしずしずとクルマを転がした。

1カ月以上乗っていた小型車はごくベーシックなもので当然オートマ。なにも特別な装備はついていないが、必要十分なものだった。自分のお金で買おうとは夢にも思わないようなクルマではあったが、燃費は好いし、室内は広いし、ジジイになったらこれでもいいかな、と思わせるには十分なものだった。しかしハンドルを切ってもアクセルを踏んでも反応が鈍く、“ぬもー”“ぬもー”と、小さな牛に乗っているような感じだった。正直つまらなかった。しかしFD2は違う。燃費は半分近くにまで落ちてしまうが、アクセルさえ十分に踏み込めば、欲しいときに好きなだけパワーを取り出せるし、何と言ってもエンジンがダイレクトにアクセルにつながっている感じ、ハンドルが直接地面につながっているフィーリングが何とも言えない。自分の顔の向きを変えると車線が変わってしまうくらい遊びが少ないハンドリングもサイコウだ。お世辞にも乗り心地が良いとは言えないし、うるさいし、むち打ちで痛む首と腰への負担は結構なものだ。しかしそれをカバーしてありあまる運転の喜び!好きでない人にはこんなのはわからないだろうが。Honda特有のエンジンの咆哮、ロードホールディングノイズ、ギヤの鳴く音、スピードと共に増していく風切り音、エクゾーストの匂い、全身を揺さぶるピッチング、ローリング、、、。しかしそれらの全てが自然で、自分のコントロール下にあるという快感、安心感。FD2は特殊なクルマだが、高級なクルマではない、なんて言ったってCivicなのだから。でも、自分にはこれがぴったりだ。ああ、これ買ってヨカッタな。

それでいつもの峠に行ってみた。メカ氏は事故らないように、と、ちょっと心配してくれた。ありがとう。あまり飛ばさず、難所は避けて、車体を吟味するように丁寧に走った。結果的に、上りも、下りも、コーナーも、自分のイメージ通りの走りを安全に楽しむことができ、本当に楽しかった、、、。クルマの性能に問題は無いようだ。違和感を感じることなく、自分の限界近いドライビングを楽しむことができた。命を預けることが出来そうだ。シートにちょっとした問題があるのだが、その件もまた別の機会に書いてみることとしたい。運転の中休みに山の中で好物の蕎麦にありつくこともでき、言うことのない、濃い一日を過ごすことができた。ガソリンは沢山使ったけれど、幸せな時間だった。人生の喜びってこういうもんだと思った。大げさなものでなくてもいい。

帰宅してしげしげと車を調べてみると、いろいろなところが埃だらけだし、ドランクの内貼りもきちんと戻してないし、他にもいくつか小さな問題をみつけた。正直に言って仕事は雑だ。しかしそういう小さなことで自分の時間を台無しにするのは避けたい。車を操る、という行為を存分に楽しむべきだと、少なくとも今回は思った。

やはり私は贅沢な装備があるクルマではなく、走る、曲がる、止まるの基本的な機能がシッカリしたクルマが性に合うようだ。FD2に不満はない。唯一の不満は、FRではない、という、内的な偏見に基づく“残念感”だけだ。それ以外はこのままで何の問題もない。

事故なんかでFD2に乗れなくなったらどうしよう?今回は本当にそうなってしまうかと思って一時はあきらめたのだ。Roadstarは何度か試してみたが、ルーフが低いので椅子を代えないと難しそうだ。エンジンも小さいし、タイヤなんかの交換費用も安そうなので、もっと思い切りドライブを楽しめるかな、と、ちょっとビンボくさい事を考えて一時は真剣に乗り換えを考えたのだが。そうすると残された選択肢は86しかない。しかしあいつはハンドルはきれないし、馬力はあまりないし、エンジンは回らないし、、。帯に短し襷に長しというヤツで、FD2に代わるクルマは今のところ無いようだ。旧シビックに何十万キロも乗っている人がいるらしいが、そういった人たちの気持ちが今回の事故でわかったような気がした。

ともあれ、暫くはFD2を大事にしかし大胆に走らせ、人生を充実させたいと思っている。
他のクルマのことを考えたりしたのでオカマを掘られて壊されてしまったのだろうか?そうなのかもしれない、、、、。


タグ:事故 HONDA FD2
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日本のクルマを買ったよ –カマを掘られた4- [クルマ]

日本のクルマを買ったよ –カマを掘られた4-
まったりクルマをころがすこと

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車の調子はそこそこだ。いろいろな状況でクルマを走らせ、命を任せても問題がないかどうかを見極めつつ、ドライブを楽しんだ。意外だが、我が家からほど近いところに結構な自然が残されていることを知った。たいして走っていないのに、こんな素晴らしい景色を楽しめるのだ。わざわざ有名な景勝地まで足を延ばす必要はない、と心から思った。

お蕎麦とお酒を手に入れようと、某所まで足を運んだ。お酒は、これ以外は呑まなくてもいいかも、と思っているお気に入りの銘柄だ。蔵元まで足を運んで、特別な一本を手に入れようという腹だ。現地に到着した時間は午後3時過ぎ、しかしまごまごしている間に蔵元は戸を閉めてしまい、さらにさらに、あてにしていたお蕎麦屋さんも軒並み暖簾を降ろしている。妥協していってみたお蕎麦屋さんはまるでバラックのようで、おいしい食事をとることのできるところと思われなかった。それで食事それ自体をあきらめた。

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その代わりに、、、、かわいいお城を見てきた。山の頂にあるので結構な距離を歩かされたが、それだけのことはあったように思う。帰り道のFD2の“足取り”は軽く、目的は果たせなかったがなかなかいい一日を過ごすことができた。

こんな日があってもいいのかもしれない。次は事故処理のことを書いてみようと思う。

タグ:FD2 HONDA 事故
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日本のクルマを買ったよ –カマを掘られた5- [クルマ]

日本のクルマを買ったよ –カマを掘られた5-
ガソリン問題

かつて、あまりにもディーラーの対応が納得いかなかったため何度もFD2をあきらめそうになったのだが、たまたま信頼できるメカ氏と出会うことができ、その後幸せなカーライフを楽しんでいることは何度か書いた。経験上、国産では確率的にトヨタ系のディーラーがしっかりしていることが多いようだ。設備とか教育とかに手間暇とお金をかけているのだろう。素晴らしいことだ。また、最近は、マツダ系の方たちもすごく頑張っておられるように肌で感じている。ともあれ、自分のクルマを任せて安心な専門家、つまり主治医がいる、ということは、私のようなクルマいじりのための時間も場所もないクルマ好きにとっては本当にありがたいことだ。いつも感謝している。だから、ディーラーの悪口を言いたくはないのだが、一つだけどうしても書いておきたいことがある。裏事情を知っている人が何か教えてくれることもあるかもしれないし。それがガソリン問題だ。業界の常識なのかもしれないが書いてみる。いいんだ嫌われても。

これまで国内外で、ドイツ系の車と、それから複数の国産車に乗ってきた。会社はいろいろだ。クルマを人に委ねることは好きではないので、ディーラーに入庫する期間はできるだけ最短で済ませるようにいろいろと努力してきたつもりだ。とくに某国在住期間中は、できることは何でも自分でやったものだ。ディーラーというものは、自分のところで販売しているクルマの扱いについては、ほかのだれよりも知っていることが建前だ。まあ、実際そうでもないことも多いのだが、とりあえずだれよりも知っているはずだ。しかしそれでもいろいろな問題が起こる。私の場合、整備の時にクルマを汚されたり傷をつけられたり、ということを実際に何度か経験した。ディーラーにはケアをお願いするためにクルマを預けるのだから、整備をお願いするたびに小さな問題が起こるのには困ったものだ。

特に違和感を感じているのが“ガソリン問題”だ。ガソリンを満タンにして、自分でその時の走行距離を記録して、それでクルマを預け、受け取る。そうすると、メーターの距離は増えていないのにガソリンが沢山減っていることがあるのだ。人からそのような話を聞いたことは何度もあったのだが、まさかそんな、自分には関係ない話だと思っていた。かつては。しかし残念ながら、私はこれを複数のディーラーで経験した(どこのディーラーか、特定は避けたい)。ほとんどの場合、10‐20リッター程度なのだが、これは非常に気分が悪い。私は常に燃費を記録しているためこの問題に気づいていた。気づかなかったらよかった。初めてこの問題を認識して以来、クルマが返却されたときに確認するようにしているのだが、どうも偶然でも錯覚でもないようだ。

金額は大したことがないのだが、やはり気分が悪い。ガスを入れるためにスタンドに行くのも時間の無駄だ。メーターの巻き戻しは、メリットがないので国内のディーラーでやる筈はないと確信している(某国では経験した)。だから距離が伸びていないのに10‐20リッターもの燃料が減っているというのは、関係者が何かをしたとしか思えない。アイドリング?可能性はあるが、10リットル以上消費するだけの長時間アイドリングをするとは思えない。つまり長期間クルマを預けている間に、10-20リッターの燃料を誰かが抜いた、という可能性が残されるように思うのだ。

これまで、いろいろな機会に、そのような現象が指摘されていることは認識している。私の知人で同じ経験をしている人もいるし、雑誌やWebなどでもそのような記載が散見される。本当のところを知りたい。だれか識者の方、情報をいただけると幸いだ。

ともあれ、クルマはこんな風にあまり細かいことにこだわらず(私は結構細かい人間なのだが)、おおらかに楽しみたいものだ。

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日本のクルマを買ったよ –カマを掘られた6- [クルマ]

日本のクルマを買ったよ –カマを掘られた6-
保険会社の対応1

事故当日、もちろん自分の保険会社に連絡した。加害者の保険会社にも連絡させた。それですぐに加害者の保険会社から連絡がきた。担当が二人して、一人はクルマ担当、もう一人は怪我担当とのことであった。窓口が二つあるのは先方の都合なので、一つに絞るよう要求したのだが、無理だという。国内大手保険会社ではあるのだが、応対は今一つ。なぜ被害者が加害者の代理である保険会社の土俵に上がってやらねばならないのだ?これは納得がいかない。弁護士に丸投げしようかとも思ったのだが、せっかくヤバい事故を生き延びたのだから、すこしは自分でやってみようと決めた。危なくなったら弁護士にバトンタッチすれば何とかなるだろう。

そうだ、その前に警察の事を書いておこう。警察の方の事故現場での対応は、なかなか親切かつ適切であり、加害者を叱り、私のクルマと体の状況を心配し、それでも仕事へ行くと言う私をやさしく送り出してくれた。ありがとう。その後の手続きの書類をくれ、すぐにディーラーで修理を受けることを強く勧めてくれた。同日病院に行き、整形外科を受診して診断書をもらい、それを所管の警察に送って物損を人身事故に切り替えてもらった。この際、現場でお会いした担当の方がおられなかったので、郵送すればそれだけで良いのか、どうやれば確認が取れるのか、電話を取ってくれた警察官に伺ったのだが、その方の応対がぞんざいで、“診断書来れば人身だよ人身!”“なにがわかんないんだ!”“まちがいないよ、わかった?わかったね!”といった、いわゆるオイコラ式の対応をされた。こちらは首や腰の疼痛を我慢しながら電話しているのに、まったく納得のいかない応対で、電話の後は痛みがさらに増したような気がした。さすがに腹立たしかった。オレが何か悪い事をしたのか?しかしともかく、書類を送ることにした。保険屋さんにもその旨伝えた。

加害者の保険会社のクルマ担当の人はぼんやりとした昼行燈のような方で(アンドン君)、怪我担当の人は、強いアクセントのある、当たりが柔らかい、感じのいい人だった(トウホク君)。そのような体制で交渉が始まった。しかしこちらはむちうちで苦しみながら仕事に行かねばならぬ身の上で、自分で交渉をしなければいけないのはどうも納得がいかない。加害者を怒鳴りつけてやろうかと何度も考えた。しかしおそらくそれは得策ではないのだろう。結局職場のお抱え弁護士さん複数名に相談してみた。彼の話では、、、

むち打ちの場合、例えば6ヵ月通院したとすると、医療費以外に専門家が対応した場合は○○万円程度の慰謝料、というように判例があるので、交渉はそれを目安にすること、また、クルマの方は、修理費を基に計算された車両価格の査定減が支払われることなど、様々な具体的な指導をしていただいた。どこに相談してどうやって話を持って行けばよいのか、具体的な資料を提示しながら、指導を受けた。彼の話では、弁護士に丸投げするような大きな事例ではないし、普通にやれば当事者がやっても結果はほとんどかわらないので、相談には乗るから一つ自分でやってみてはどうか、自分でやった方が”お得”ですよ、とやんわり言われた。仕事をしたくないのか?もっともうかる仕事に専念したいのか?まあそれはいい。それでしばらく自分でやってみることにした。どうなることやら。

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日本のクルマを買ったよ –カマを掘られた7- [クルマ]

日本のクルマを買ったよ –カマを掘られた7-
むちうちの検査

MRIはこれまでなんとなく避けてきた。自分の脳を撮影して、腫瘍が出来ていたり、知らない間に脳梗塞が起きて〝ス“が入っていたりすることを目の当たりにすることが怖かったからだ。死んでしまうまでは“知らぬが仏“で生きていきたいものだ。しかし今回の“オカマ事故”で、首と腰を痛めた私は、実際の神経の損傷を評価するためにもMRIを受けておくべきだと思った。それでやってみることにした。本当のことを言えば、私は巨人なので、狭いところがものすごく嫌いなのだ。しかししかたがないので、必要に迫られて悩みつつもやってみることにした。さて、どうなることやら。

朝方病院に到着し、なんだか楽しそうにしているお年寄りたちに交じって受付を済ませる。病院がお年寄りの社交場というのはどうも本当のようだ。機械からぺろりと出てきた紙切れを持ち、MRIの検査に向かう。時間まで暫く待たされ、予約時間になるや否や受付のオネイサンに書類を提出して指示を待つ。すぐに中に入れと言う。それでおそるおそるMRIが設置されている部屋に足を踏み入れる。これは大きなでんでん虫だな。白い大きなちくわのようなスキャンのわきに、人が乗ると思われる細くて長いベッドのようなものが設置されている。技師さんに、着替えのための小部屋に導かれた。

身に付けた金属を全てはずし、検査のための服装に着替えさせられる。ほとんど裸んぼうのような恰好なのでなんだか心もとない。私の検査を担当してくれた技師さんはメガネをかけた中年の女性で、低く小さな声で話しながら、てきぱきと手続きを進めていく。こちらは結構緊張しているのだが、あちらはアタリマエだが完全に冷静だ。ものを考える暇を与えらぬままに、どんどんMRIの中に入っていくベッドというかステージというか検査台の上に乗せられてしまった。私はまな板の上の鯉そのものだ。

今回は首の撮影をするので、MRIの機械の真ん中に空いている直径70-80センチくらい、長さ1メートルは優にあるトンネルの真ん中に、頭を突っ込めという。つまり大きなちくわ状の機械の中に、体を半分以上入れた状態で、10-20分間過ごさなくてはならないのだ。これは考えようによっては拷問だ。検査中に叫びだしたり、動き出したりする人が結構いると聞いている。しかしそれも当然のように思われる。“叫びだしたりする人がいるんでせうね、、、”とおずおずと尋ねてみると、技師さんは興味のかけらも示さず、機械的に“目をつぶった方がらくですよ、、”と言い放つ。それはそうだろう。“苦しくなったら握ってください”と、詳しい説明もなく、なんだかボールのようなものを握らされた。それからぐりぐりと、大きな頭に小さなヘッドフォンをかぶせられた。しかし技師さんの声は聞こえるようになっている。MRIのことはよく知っているつもりだったが、知っているのとやってみるのとは大違いだ。大変なことになった、、、、おそらくほとんどの人がそう思うのではないだろうか、この時の私と同じような状況になれば。

それで、頭を枕のようなもののくぼみに入れてしっかりと固定し、さらにその上からあごや首を動かせないように今度は顔の前面から枠のようなもので固定された。だめだ、終わりだ、どうにもならない、、、あきらめ感が漂う。もうどうにでもしてくれ。自暴自棄となった。それでもどんどんステージは上に上がっていき、その後体が少しずつちくわの中に吸い込まれていく、、、、問答無用だ。ここであろうことか、私は目を開けてしまった。目の前に真っ白い機械の壁が見え、息苦しくなり、ついちくわに触ってしまった。やばい、これはまずい。どんどん息が苦しくなってきたぞ。これがパニックというやつか?“目をつぶった方がらくですよー”そうだ、目をつぶろう。これで壁は見えない、しかしそれはアタリマエだ。目をつぶったんだから。それでも気持ちの上でのつよい圧迫感は急速に減っていく。おお、落ち着いてきたぞ。たすかったようだ。叫んだり暴れたりしないでもよさそうだ。でもこれ結構怖いな。やっぱり。それでも委細構わず、検査は続いていく。

横になったまま次の展開を待っていると、頭の横で“シュオン シュオン シュオン”とただ事ならない大きさの、規則的な音がしている。大した音ではないようにも思われたが、ヘッドフォンが無ければかなりの騒音なのだろうと想像した。それでそのまま不安な気持ちのまま数分待たされることに。この間、何度も目をあけそうになった。目の前に壁があり、ちくわの中に深く入っているアタマは、当然だがすこしも動かすことが出来ない。壁をみてしまったら、、、また苦しくなってしまうかもしれない。そうに違いない。それは避けたい。ああ、苦しくなってきたぞ。やばいやばい。

それでどうしたかというと、自律訓練法?をやってみた。本当にやばいときに使えるかどうかいいチャンスだ。気持ちの中に余裕があることに自分で驚いた。自律訓練法?っていうのは、、、“あなたの頭の後ろには、青空が広がっています””おーきな おーきな青空です”“さあ、呼吸が楽になってきました”“ここで”おーーーきく深呼吸です、、、“と自分に本気で語りかけて自分を落ち着かせる、というやつだ。実際に声を出す必要はないが、心の中を誰かにのぞかれたら、ヒジョーに恥ずかしい状況なのは間違いない。そいつをまったなしのやばい状況のなかで試してみたわけだ。実際にやってみると、信じられないことだが、なぜか頭の上の方に大きく広い、白い天井のようなもの、というかそのようなものが存在している感覚がポッカリと出現し、その辺りに広い空間が広がっているような状況が意識された。それで、実際に身を置いている狭苦しいちくわの穴ような場所ではなく、広い空間に身を置いたような、なんというかすがすがしいような気持ちとなり、落ち着きを取り戻すことが出来た。不思議だが本当だ。自分の心のコントロールに成功したようだ。なんでもやってみるものだ。

“3分くらいうるさくなりマース”と、女性の声とともに検査が始まった。ここは是非、若いかわいい女性の声でお願いしたいところだ。しかしそんなことを言ったら何をされるかわからないので、とても言えない。何しろこちらは裸んぼうでちくわのなかにアタマを突っ込んでいて完全に無防備なのだ。それでおとなしくしていると、“シュオン シュオン シュオン”にくわえて、“ゴワン ゴワン ゴワン”というものすごい音が始まり、検査開始となったらしい。心拍数が高まる。それで“シュオン ゴワン”というものすごい音を聞いていると、あら不思議、首や背中のあたりの筋肉がピクピクと律動的に動き出した。これは磁力のせいなのか、緊張しているためなのか?そんなことを考えながら検査を続けた。というか続けさせられた。自分で出来ることは何もないし、動くわけにはいかないので、いくら落ち着きを取り戻したといっても、やっぱり結構なストレスだ。いい塩梅に、もうどうにでもして、という気分にはならず、頭の中だけが無意味に忙しく活動している。”ゴワン ゴワン“の次には”ガン ガン ガン“、そして”ガリガリー ガリガリー“というのをやらされた。各々おそらく5分ずつぐらいだったと思うのだが、永遠に続くかのように感じられた。やっぱりこれは拷問だよ。

この間、幸いにして頭の上の方の“白い天井”は小さくなったり消えてしまったりすることは無く、比較的“快適”に検査を続けることが出来た。結局3-4種類の検査を受けたらしいのだが、その間あろうことか眠り込んでしまい、寝返りまでうとうとしたようだ。それで一部の検査が無効となってしまい、なんということだろう、やり直すことになってしまった。そのためさらに数分のスキャンが続く。しかしこのころまでには検査になんとか慣れたようで、ものすごく眠くなって起きているのがしんどいくらいだった。磁気の為なのかどうなのか、だんだん体も暖かくなってきて、最後の頃には全身がホカホカして気分が良くなってきた。

何とか(今回の記事は 何とか が多い)無事に検査を終えることが出来たのだが、この検査はあまり人にお勧めできないな、と思った。今度は腰のMRIを取らなくてはいけないかもしれない。憂鬱で血圧が上がりそうだ、、、。

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日本のクルマを買ったよ ‐カマを掘られた8‐ [クルマ]

日本のクルマを買ったよ ‐カマを掘られた8‐
整体院に通ってみる

首と腰が痛い。めちゃめちゃ痛い。時に判断力が鈍ってしまうほどの深刻さだ。家人は事故以降私は怒りっぽくなっているという。

そんな状態ではあるが、世の中は私を甘やかしてはくれない。一歩外に出れば複数の“敵”がおり、当然私の事情など勘案してくれるはずもなく、ふざけた出来事の連続だ。しかし子分をたくさん持つ身のつらさ、公の場で“ぶち切れる”わけにはいかない。24時間体に痛みがあるというのはこんなにつらいものなのか。私の担当の整形外科のDr.は麻薬に類する薬を飲めというが、納得がいかないのでお断りした。麻薬なんて嫌だ。しかし痛い。腰が痛い、首が痛い。痛いイタイいたい。

おそらくそのほうが営業上良いということなのか、同情してくれたためなのか、保険会社のトウホク君から整骨院への通院を勧められた。なにか先方にとってうまみがあるのかもしれない。しかしこんな風に人を疑ってばかりいるのは心が病んでいる証拠だ。こんな時はとりあえず勧められるままにやってみるというのも悪くない生き方だと思う。それでものすごく無理をして、時間をひねりだして整体院に行ってみることにした。しかし通院前後で仕事の量が減るわけではないので、結局無理をすることになってしまうのだが、、、しかしそれでも行ってみた。何事も経験だ。いいことだってわるいことだって貴重な自分の人生だ。味わって楽しむべきだ、、、、なんていってはみるが、本当は痛みのために余裕がないのだ。

それで思い切って整体院に足を運んでみた。なんだかコンビニみたいな整体院で、開放的で清潔。患者さんに女の子が多いのは意外だった。不潔感がないのは好印象。しかしみな気持ちよさそうにマッサージを受けている、、、。期待していいのだろうか?でもなんだか若いおねいちゃんたちがうっとりとしたかおをしておやじにもんでもらっているのはどうも、、、まあそれはいいかこの際。デブで巨体で運動をやってきた私をもみほぐせる人などはなかなかいないので、これまでに温泉旅行のマッサージさんをふくめ、マッサージを受けたことは、、、、ない。全くないように思う。歌舞伎町方面のやつも、、、やっぱりない、、、と思う。マッサージといえば、機嫌の良いときの家人がふざけ半分に腰に乗ってくれるくらいだ。マッサージって、、、、どんななのか?

これは交通事故なので、保険がきくそうで、整体院の先生は保険会社と整体院が連絡を取ってなんだかやりあっている。それはそうだろう、お互いに商売なのだ。整体院はできるだけお金のかかる治療を施術したいが、保険会社は逆であり、あまりお金は使いたくないだろう。当然そうだ。しかしそんなことはどうでもいい。今すぐやってくれ押してくれもんでくれ頼む。誰がやってくれるの?遠くにいる。小柄なオネイサンではけだもののような私をもみほぐすのは多分無理だ。機械とか使うのかも?しかしそれらは杞憂であった。わたしの担当の先生は、大柄な腕っぷりの強そうな中年男性だ。いいぞ。期待できるかも。女性の先生たちよすまん許してくれ。だってオレあまり余裕がないんだ、、、。

いろいろと問診され、書類を書かされ、そのあとなんだかむち打ちの痛みの評価をしているようだ。当然“痛みは強く、長引いている”という評価だ。残念だが本当だ。それでベッド(施術台)にうつ伏せになり、痛いところを聞かれた。もんだり押したりして確かめつつだ。しかし面白いことに、どこをもまれてもどこを押されてもヒジョーに気持ちが良かった。しかし首の一部と、腰の一部をぐいっ通されたときは痛みで死ぬかと思ったけれど。ついみっともない声を上げてしまった。それで、“やはりむち打ちでしょう”ということになり、何やら怪しい機械を乗せて首と背中を温めてくれた。これは炬燵を背負っているような感じで、ぽかぽかと温かく、ついつい眠くなってしまった。気持ちがいい。あまたの中が白くなっていく。その後ずいぶん経ってからマッサージが始まったのだが、大柄のおじさんの手のひらやこぶしは私の大きく分厚い背中にピッタリであり、マッサージはヒジョーにヒジョーに気持ち良かった。グヘグヘと笑ってしまうほどだ。いままでどうしてやらなかったのだろう。しかし先生は私の姿勢の乱れを指摘し、全身の筋肉ががちがちになっていると驚いていた。“おお、こここれは、、、骨、、、、じゃあない、、、筋肉だ。筋肉ですよ!がちがちですよ!”“わかりますか?ここんとこ、、、、こんなに、、、、こんなですよ!”“ここんとこぱんぱんじゃないっすか”“できるだけ毎日来てください”“姿勢直さないと治りが遅いですよ”“よろしいですね?”とご指導いただいた。この間私は“うー”“うおー”と小声で叫んでよだれを垂らすのみであり、まともな会話は全くできなかった。頭の中は桃源郷を漂っていた。こんな喜びも世の中にはあるのね、、、。

先生によれば、事故の場合保険会社は3か月程度しか治療院の代金を出したがらないため、現行の保険制度をよく理解して、できるだけ高頻度に通うよう指導してくれた。そのほうが治りもよいそうな、、、、。

これで本質的な問題の解決に向かうかどうか、疑問がないわけではない。しかし少なくとも数時間、注射も服薬もしないのに首と腰の痛みを忘れることができた。久しぶりに健康というやつを、短時間ではあったが味わうことができた。Love 整体院!とりあえず素晴らしい。ありがとう先生。

人のことばかりではなく、家人のことも自分のことも、これからは少しくらいは考えて生きていこうと思った。

ともあれ、今後もなんとか時間を作って、指導されて通りにちょこちょこと整体院い通いたいものだ、、、、。

To be continued


■4月某日 今日も”按摩さん”に行こうと思っていたのに、日曜日はお休みだって!

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整体院は極楽なのか?

時間がない。しかし頸が痛い腰が痛い。痛みはとっても勤勉で、24時間続いている。頸は本当にやばい感じ。頭痛も間欠的に続いているため、何とか少しでもこの痛みから逃れられないか、と祈るような気持ちで日々を過ごしている。それでついついブログを更新してしまうわけだ。

通い始めた整体院の先生は“集中的に通え”という。商売なのか?好意なのか?おそらく両方だろうと思われる。それでとるものもとりあえず、時間をひねり出して通院している。乗り換えの駅で走ったりして無理して時間をつくっている。

整体院でびっくりしたのは、若い女性の患者さんが多いことだ。だって”按摩さん”だろ?お年寄りの行くところだろ?と、ほんの数か月前まで過剰に健康だった私は思うわけだ。しかし、あら不思議、整体院というのはオネイチャンたちがマグロのようにごろごろしてうなっているシュールな場所だったのだ。むくつけき筋骨隆々としたおじさんである先生たちからマッサージを受けながらオネイチャンたちはキャラキャラと笑っている。笑えるほど健康なのになぜ整体院?謎は深まるばかりだ。自分は”うー””ぐえー”とうなり声を出してマッサージに身を任せつつ、話を聞くとはなしに聞いている、というか、聞かされてしまう。目をつむって遠くなったり近くなったりする意識の中で、おとなりで横たわっているオネイチャンが運動の選手だったり、生理が重かったりすることを知ることになる。というかこれ、おかしくないか?まあ面白いからいいか。残念ながらお隣のオネイチャンのお姿を眺めて楽しむ余裕は全くない。本当だ。信じてくれ。

しかしいったん慣れてみると、マッサージというのはなかなかいいものだ。自分の体のどこにこんな感覚が残されていたのか?というほど新鮮な感覚を味わうことの連続だ。”ここんとこを少し引っ張りますねー”ゴキッ”ひえー”。”今度はこのあたりを押していきますガキッ”うわー”。みたいな感じ。筋肉をほぐした後に、首や腰をただ単純に押してもらうだけでそのあたりに鬱滞した血とかリンパとかが流れていくような気がする。大変気持ちがよろしい。巨大なおっさんがよだれを垂らしながら目をつむって”うー””グエー”などとうなっているのは人には見せられない状況ではあるが。残念ながら先生とのコミュニケーションはなかなか完全とはいかないため、”もう少しそこんとこをもっと”とか、”あと5センチ下”とか思うのだが、遠慮してしまってなかなか注文は付けられない。だからたいていは”もうちょっとやってくれよー”と、心を残して整骨院を去ることになるわけだ。それでも治療を受けた後、短時間ではあるが痛みを忘れることのできる数時間を手に入れることができる。これは素晴らしい、、、。整体院って極楽なのかも。少なくとも今のところそうだ。ありがたいことだ。足を向けて眠れないよ、ほんと。

事故に巻き込まれてしまったことを四の五の言っても仕方がない。加害者にはきっちり責任を取ってもらうけれどね。しかし事故も痛みも人生のうちだ。ほろ苦さを噛みしめつつ、この珍しくも気持ちのいい整骨院という体験を楽しんでしまおうと思う。

しかし精一杯生きていると、ものすごくドラマチックなことが次々に身の上に降りかかってくる。なんだかまるでディズニーランドにでもいるようだ。

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