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高価な楽器を購入する話 4 [雑文]

高価な楽器を購入する話 4

いろいろあって、邦人制作家の手になる楽器を手に入れることをあきらめざるを得なかった。日本には長い長い木工の歴史があるため、日本人の職人さんの木工技術は間違いなく世界の最高峰に属する。だから非常に残念だ。しかし頑固な自分を変えることは出来ないので仕方がない。他の可能性を探るしかない。前に進もう。以前にも書いたのだが、諸外国の制作家に相談し、結局オランダの、体の大きい、やる気のある人に賭けてみることにした。

私がどんな音楽が好きで、どんな楽器を必要としているか、辛抱強く相談に乗ってくれ、値段の交渉を終えた後に結構ゆるい契約書を取り交わして制作を始めてもらうことになった。数ヶ月に及ぶ製作期間中は、制作過程を事細かに何度も写真で知らせてくれ、質問やリクエストには何でも答えてくれた。当初はトップ(表面版:ギターの命で最も大切な部分)を薄いラッカーで塗ってもらう約束だったのだが、“この方が音がいいし、君の好みにも合うだろう”といって、先方の判断でフレンチポリッシュに変えた(フレンチポリッシュのほうが手間暇がかかる高級な塗装)以外は、まさに相談した通り、私が望んだとおりの楽器を作ってくれた。最終的に彼が提示した基本モデルを10か所以上変更したのだが、代金は変えない、という。この過程でこの人をほぼ完全に信頼していた。もう将来楽器で困ることは無いな、と安心した。楽器が壊れたら修理をお願いできるし、もう一つ同じものを作ってもらってもいいわけだから。

とにかく約束の日時を少しオーバーして楽器は完成した。写真で見る限りたいへん美しい仕上がりで、どんな音がするのか楽しみだった。これを遠路はるばる日本まで送ってもらった。汚れた段ボールとぼろきれに包まれて、美しいケースで保護されて楽器は到着した。オランダから日本まで、税関での処理にかかる時間を除けば僅か2日で到着だ、素晴らしい。

到着した楽器をすぐにケースから出したかって?それはトウシロウというものだ。特に気密性の高いケースを使っている場合は外気との温度や湿度が大きく異なっていることが多いので、ケースについている蝶番を少しずつ開けて、部屋の空気となじませてから開けるべきであることは常識だ。冷え切った楽器を温かい部屋の中でいきなりケースから取り出したりすると、楽器に水滴がついて、特にフレンチポリッシュの場合は取り返しがつかないことになる。フレンチは、音は最高なのだが、とっても繊細で柔らかい、扱いの難しい仕上げなのだ(塗装で楽器の音は大きく変わることは常識だ)。

ともあれ、そのような儀式を経て楽器をケースから出した。フレンチポリッシュ特有のオリーブオイルの(ような)かほりにうっとりする。(フレンチポリッシュは、インドあたりのカイガラムシが分泌したシェラックと呼ばれる樹脂、木目を埋めるための細かい軽石をすりつぶしたもの、オリーブオイル、などを使って行われるのが基本なので、そのようなかほりがすることが多い。ただし現代の制作家が原法に忠実に作業しているかどうかは疑問)トップの仕上げは、見かけもかほりも、確かにシェラックを使ったフレンチポリッシュに間違いない。しかしトップに深い傷が数条、、、。血圧が上がる。他の部分は大丈夫なのか?

サイドやバックは、長く使うことを考えて、現代的なアクリル系の合成樹脂を使って薄めに塗ってもらったのだが、ひっかいたような傷やへこみ、更には木の欠け(チップと称する)なども数か所見受けられる。直線がきちんとした直線に仕上げられておらず、曲面も理想からはほど遠い、ぼこぼことした仕上げになってしまっている部分が数か所あった。指板にもフレット打ちの際につけられたと思われるハンマーの打痕が複数。さすがにこれは受け入れられない、、、、。いくらお金を払っていると思っているんだ!日本でこれを店に並べても、買ってゆく客はいないだろう。がっくり、残念だ。制作家の選択を誤ったのかもしれない。実物を見ないでオーダーする冒険は、やはり失敗に終わったのだろうか。

ケースを開けてたった5分でがっかり、意気消沈しつつ、それでも楽器の音を試してみた。この楽器はサウンドホールを小さく楕円形に作り、その代わりにボディのサイドにホールを二つ設けて高音と低音をステレオのように響かせてみよう、という、意欲的かつ実験的な作品だ。手にとって弾いてみると、、、その音は素晴らしかった。低音から高音の分離とバランスがよく、右手のテクニックで様々な音を引き出すことが出来る。全体に弾いた感じがやや固く、ボリュームはやや不十分で、思った通りに音の大きさをコントロールできる印象が薄いが、できたばかりの楽器だからしかたがない、弾きこめば何とかなりそうだ。遠達性はたいへん優れており、人前で弾くには適しているように思われる。ものすごく丈夫に作ってあるネックはやや太めで、手なずけるのには時間がかかりそうだが、文句はない。仕様通りに削ってくれてある。いつも弾いている曲をいつも通り弾いても、全ての音がきれいに響いて、自分の腕が上がったようだ。これはスゴイ。指が痛くなるまでずっと弾いていたい。ついニコニコと笑ってしまう。やはり良い楽器を弾く、というのは上達したい演奏家にとっては大切なことなのだなあ、と実感する。怒りをさまして、手にした楽器を冷静に評価してみると、時間をかけて納得がゆくまで相談しただけあって、設計自体は成功しており、素晴らしい音がする楽器だ、と結論してよさそうだ。

どうしたらいいだろう?楽器を目をつぶって弾いていれば文句はない。気持ちがよくってついついよだれを垂らしてしまうほどだ。しかしこいつをなでたり眺めたりするとがぜん不幸な気分になって楽器をしまいたくなってしまう。このままこの楽器を一生大事に弾き続けてゆく気にはなれなかった。

先方は、送った楽器を私が気に入ったかどうか、返事を待っているのはわかっていた。しかし何と伝えるべきか腹が決まらず連絡がためらわれた。日本人としては誰に対しても礼儀正しくありたいので、結局“音はいいのだが、制作上の問題が多すぎる。いくらなんでもつくりが雑だ”“今後どうするか考えたい”“頭にきているからもう数日して落ち着いたら連絡する”とメールを送った。

先方の反応は迅速で誠実だった。“連絡をくれないので気に入らなかったのだと想像して気をもんでいた”“気に入らないと言われたことはあまりない”“希望に沿って最善の対応をする”“返送してくれれば代金を返却してもいい”と言ってきた。この人は見かけによらず人柄のよい人のようだ(クマのような巨体、ウツボまなこで髪はもうあまり残っていない)。今まで何度も日本人に楽器を制作してきており、日本人の顧客を大切にしたい、という意向も伝えてきた(日本人向きの価格は高めに設定しているのかもしれない)。

その後ものすごくいろいろなことを考え、“あなたを選んだ私にも責任がある”“代金は払うからもう一つ同じものを、ベストを尽くして制作してくれ”“2台目は値引きしてくれると嬉しい”“嫌ならそういってくれ”とメールで伝えた。彼は納得し、割引した値段で最善を尽くしてもう一度制作してくれるとのことであった。

話がついたので、2台めの制作にGoを出し、再び楽器が仕上がってくるのを心待ちにする日々にもどった。最初にお願いした邦人制作家の場合は、半額以上のデポジットを払って、半年なんの連絡ももらえないままに待たされて、残念な結果になってしまった。彼の私に対する対応は、あまりほめられたものではなかった、と今でも思う。今度はオランダ人の制作家にお願いして4カ月ほど待ったが、1回目は失敗した。残念だ。次の楽器はどうなるだろうか。

私の腹はもう決まっている。彼の私に対する態度は誠実で、対応は満足のゆくものだった。おそらく彼が生きている限り、これからもそうだろう。だからどんなにとんでもない楽器が送られてきても(可能性は高い)、彼が“これが俺のベストだ”と言うなら、制作してもらった2台の楽器を大切に弾いて、壊れたらオランダまで送って修理してもらい、墓場まで持ってゆくつもりだ。

人付き合いってそういうものだと思っている。

タグ:ギター
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日本の車を買ったよ – 5 エンジンオイルの話 [雑文]

日本の車を買ったよ – 5 エンジンオイルの話

C(FD2)はその後絶好調だ。Cを購入したディーラーを信頼することに決めてものすごい勢いでレジャーや通勤にCを乗りたおしている。このディーラーでCを維持できなくなるまで、最後の最後までこのクルマと付き合うつもりでいる。2万キロまで距離を重ねて機械部分はようやく“あたり”がついてきたようで、エンジン、ギア、サス等々、しっとりとしたいい感じになって耳障りな雑音も減ってきた。内装のギシギシ音などは相変わらずにぎやかだが、それは車の性質上仕方がない。こういった雑音を消してしまおうとは思わない。この車の場合、雑音も持ち味だと考えている。人様はとても載せられないけどね。

クルマを購入した当初、新車には慣らしを効率よく進めるために特別のエンジンオイルを入れてある、などという噂もあるため(本当か?)、しばらくはそのまま乗っていたのだが、エンジンの将来を考えて、5000㌔走る遥か以前にオイルとフィルターを交換した。新車の場合、私はエンジンオイルとミッションオイルは慣らしが終わるまでガンガン交換する主義だ。これまでは自分の手でやってきた仕事だが、この車の場合、将来ずっと付き合ってゆけそうなディーラーを探すことも考えて、とりあえず家から近いディーラーでメーカー指定の100%化学合成油であるオイルを入れてもらった。このオイルで開発したエンジンのはずなので、相性はいいはずだ。しかしエンジン音はオイルチェンジ前と比べてかなり騒がしくなってしまった。これはおかしいのではないか?エンジンに合っていないのではないか?もちろんこの車のエンジンが求める規格や粘度を満たしたものを使ってもらったのだが、私の五感はこのまま車を乗り続けることに不安を感じて危険信号を出したので、すぐに別のディーラーで無限のものに変えてもらった。

この無限のオイルはすごかった。エンジンがまるで別物になってしまったのだ。アクセルの踏み方は同じでも、回転数の伸びが1割は多くなる感じで、音も官能的な響きに変わり(回転数が高ければ音が変わるのは当たり前だが)、慣らし運転が終わった直後であったため、回転数を上げすぎないように気を使わなければならなかった。このクルマならではの素晴らしいフィーリングだ。至福の時を過ごすことが出来た。しかしその素晴らしいフィーリングは長くはもたなかったので、パフォーマンスが高いオイルなので耐久性に劣るのは仕方がないか、と、次もまた別のティーラーで、今度はH社がOfficialに勧めているというMobil 1のものを入れてもらった。この時のディーラーによれば、それ以外のオイルは社内基準を通らなかったとのことだった。なぜかH社の純正オイルは、最近は正規ディーラーでもほとんど扱わないとのことであった。仕事のアウトソーシングとか効率化ということなのだろう。このディーラーでは嫌な目にあったのだが、詳細は繰り返さない。思い出しても腹が立つ。

それでそのディーラーでMobil 1を入れてもらったのだが、このオイルはなんというか、信頼性は高いように思われるのだが、エンジンの回転を抑える方向に調整してあるようで、乗っていて安心感はあるものの、私の車の最も優れたパーツであるエンジンを楽しむことが出来ない。ディーラーに対する嫌な印象も相まって気分が悪かったのだが、走ってみなければ良し悪しはわからない。乗っているうちにフィーリングが良くなるかもしれない、と期待して、我慢して乗っていた。一日1000㌔近い遠乗りもしてみた。高速道路の利用が多いこともあいまって、燃費もじわじわと伸びたりしてくれたのだが、気に入らないオイルを使い続けるのには、やはり限界がある。それでも数千キロMobile1とお付き合いし、寿命まで使い切ったと思われる頃に、Cを購入した、今のところ私の信頼にこたえてくれているディーラーに相談してみた。しかし無限も純正のGoldも扱っておらず、Mobile1を勧めたいという。しかしこれはもういい。営業さんに相談して、無理を言って無限を取り寄せてもらうことにした。結構高いけどしかたがない。

オイル交換はつつがなく終わり、すぐに車を高速へ、、、。エンジン、ギア、それからサスが温まるまでまったりと流す。車が温まったかどうか、ギャップを超えた時の音を聞いていればわかる。ギアチェンジするときの音も、ミッションが温まるといい感じに変わってくる。音を介して車との会話を楽しむわけだ。当然ステレオなどというものは必要ない。(つけてはあるが、雑音が気にならないレベルまで音量を大きくして聞いていると危ない、だいいちエンジンの素晴らしい咆哮が聞こえない)十分に温まった頃に、いつも横Gを楽しんでいるカーブにさしかかった。この車のコーナリング速度は異常に高い。周りの車が60‐70㌔程度で流しているコーナーなら、100㌔近くの速度で安全に曲がることが出来る。余裕で外側から抜かせもらうことが出来るわけだ。200㌔後半まで速度を出すポテンシャルを持つ車だけれど、警察を警戒しながら走ろうとは思わないので、つかまらない程度の低い速度でいかにコーナーを楽しむか、ということが私にとっては重要だ。このクルマは”羽根”が生えているので覆面パトカーにも狙われやすいしね。高速で覆面につかまっている仲間?を目にしたことは何度もある。

バイクに乗っているかのようにアクセルをあおって回転を合わせながらギアを一つ、二つと落としてゆく、、、。いつも感じるのだが、この車のエンジンは、まるでバイクのように軽々を回ってくれる。やっぱりこれはすごい。別のエンジンになったようだ。このエンジンには無限のオイルが必要なんだ。無限さえ使ってあげれば、この世界最高の4気筒NAエンジンを心ゆくまで楽しむことが出来る。フオンフオンと子気味良い音を立てて、まるで機嫌のよい女性の鼻歌のような“声“を出して、エンジンが私の操作に答えてくれる。車が体の一部になったように、私のイメージ通りに反応してくれる。速度は十分に落ちるので、ブレーキを踏まないままに、ひらりひらりとコーナーをいなしてゆく。この車に乗ると私はあまりブレーキを踏まない。アウトインアウトの原則通りに車体を滑らせるのが好みなのだが、ハンドルをわずかにひねるだけで、自分の顔をコーナーの出口に向けるだけで、ノーズがコーナーに入ってゆくのが快感だ。この間、固められたアシは、ほとんどロールしない。ロードホールディングノイズが少しだけ高まるだけだ。強烈な横Gが私の体を右に左に振り回そうとする。体が張り出したランバーサポートに押し付けられるのが最高だ、、、。

“げへへへへ”、、、。スピードはあまり出ていないのだが、あまりの気持ち良さについつい笑ってしまう。外から私のことを見ている人がいたなら、間違いなく“イってしまっているヒトだ”と思うだろう。

ともあれ、このクルマには無限のオイルが合うようだ。しばらくはこのオイルを使ってCを楽しんでゆこうと考えている。高性能なエンジンを積んだ車にとって、オイルは車の一部だから選択は大切だ。

高速度で走行することが可能な車を駆って、比較的低速度で、警察に怒られない程度のスピードでコーナーを楽しむのは、車の性能に余裕があるので安全で悪くない趣味だと思っている。その後はいつものお楽しみコースをぐるりと回り、機嫌よく職場に到着した。

この車さえあれば、通勤は安全で楽しい趣味になる。車のない人生なんて私には考えられない。

タグ:クルマ
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YHさんとおじさんの再生 [雑文]

YHさんとおじさんの再生

この人は自分と同じ年頃の女優さんだ。歌手でもある。かつては大変人気のあった人だと記憶している。いまもアクティブに活動をしておられるようだが、私同様、かなり人生のキャリアを積んでこられた方であることは間違いない。申し訳ない話ではあるが、若かりし頃、私はこの人に全く興味がなかった。映画の中で輝くタイプの女優さんなのかな、と認識していただけで、それ以上でもそれ以下でもなく、やがて、私の個人的な生活の中から静かに消えて行った。

そうではあったのだが、なぜか最近すっかりこの人の歌声にはまってしまっている。それはYou Tubeのせいだ、というかYou Tubeのおかげだ。音楽は仕事の次に好きで、音楽がないと生きていけない、生きている意味がない、と常々感じているのだが、これまで性別を問わず、歌、もしくは歌い手さんに夢中になったことは皆無だ。これまで聞き続けてきた音楽はほとんど全てインストものであり、それは今でも基本的には変わらない。おそらく若いころの頭でっかちな状態のまま、心というよりは頭で音楽を聴いてきたからだろう。不自由なことだ。しかし残念だが今更音楽の好みなんてかえられない。結果として、歌物の音源はほとんど持っていない。そういう偏った音楽好きなのだが、最近この人の歌声でなんというか、“救われる”ような体験をして、個人的にたいへん感謝している。

子供の頃は大人は常に正しく強いものだと思っていた。しかし自分がりっぱなおじさんになってみると、中身は残念ながら子供の頃と大して変わらない。本当か?本当だ。だって自分がそうなんだから間違いない。日本の中年男性は文化的に正しく強くあることを求められるので、常にそんなふりをしていなければならないが、内面はいつも揺れている、、、少なくとも私の場合はそういうことが多い、、、ような気がする。内外のギャップを埋めるために、おじさんたち(ここは“私”と置き換えてもいい)はいろいろなことをする。自助努力というやつだ。たとえば、酒や女の人なんかに走るのが代表的だ。金や権力に走る場合もあるだろう、、、。ゴルフとか家族とか、いろいろほかにもありそうだ。若いころは動物(女の人)にはまり、最後は鉱物(庭石)になる、なんて話を聞いたこともある。なかなか含蓄が深いではないか。

私もおじさんになって初めて実感を伴って理解したのだが、おじさんにはあまり潤沢な選択肢がないような気がしている。酒もあまりたくさん飲めなくなってしまうことが多いし、(男にとってとりあえず最重要と思われる)女の人にはあまり受けないことが多い(例外はあるだろうが自分はずいぶんダメになった)。金、というのもあるのだろうが、若いころのようなどろどろふつふつとした欲望が枯渇に向かい、欲しいものがあまりないし、ぜいたくさえ言わなければ大抵のものは持っている人が多いのではないだろうか。それまで懸命に働いてきた場合は、という条件付きではあるが。だからいくつになっても“金”“金”といっているようなおじさんは、少数派かもしれない。金や権力で女の人を、という形は確かにあり得るが、純粋に男として、ということになると若い奴らとはなかなか肩を並べることが難しい。また、多くの場合、体調も最高というわけにはいかないので、激しい運動にはまり込むこともできない。この国(我が国、というべきか)でまともに働いている大人なら、趣味に割ける時間など、十分に取れるはずがないのだ。

そんなこんなで、話のまとまりが悪いが、だから結局、おじさんたちは心のバランスを取るために権力に走るのではないだろうか。とりあえず仕事周辺で“えばり散らす”というやつだ。つまり仕事近辺で“えばる”より他に精神の安定を得るための選択肢が少ない、というかほとんどないのだ、多分。不幸にしてあまり“えばる“ネタがないおじさんは、体を壊してもやっぱり酒?それもだめなら、、、どうしたらいいんだろう?想像もつかない。なんだか悲しい話だ。ともあれ、おじさんとは意外に不安定で傷つきやすい生き物なんである。そうに違いない。しかしおかしな話の展開になってしまった。

そういうおじさんであるところの私が、精神的にやや不安定になっている状態だった際に、なにかの拍子に -幸運にも- You Tubeでこの人の歌声を聴いてしまった。なんだかコップに水が満たされたような感じがした。やめられずに何度も何度も繰り返した。YHさんの若かりし頃の張りのある透き通った声に身をゆだねるのは、お恥ずかしい話だが大変心地よかった。携帯プレイヤーに入れて通勤中に真剣に聴きこんだり、しまいには高価なオーディオ器材を買ったりもした。音楽にはものすごい力、人を変える力があることは身をもって知っていたのだが、この年になって音楽に再び助けられるなんて。繰り返しこの人の歌声を聴くことで、井戸の底にはまってしまったような精神状態から徐々にではあるが抜け出すことが出来た。酒量も劇的に減った。酒よりも影響力のある歌声なんてすごい。

多分こういった分野の音楽はアイドルポップとか呼ばれるのだと思うのだが、お金がかかっているだけあって、意外ではあるが音楽として質的に高いことが多いように思われる。この人の歌の場合、映画とタイアップしたようなテーマ曲の数々は、当時(といってももう30年以上も前になる)実力者と目されていたミュージシャンたちによって提供された楽曲が多く、今聴かせてもらっても陳腐な印象を受けない。詩もしかりで、おじさんの鑑賞に耐える、といってもいいように思う。時代背景を共有していることももちろん大きいのだろう。懐メロを楽しむようなものだ、というか私にとっては懐メロそのものだ。

残念なことに、映画のテーマ曲などは数が限られているため、すぐに歌詞を覚えるほど聴きこんでしまい(ただし自分で歌ったりはしない)、頭と心が飽和してしまった。私の心の“渇き”は満たされていないが仕方がない。しかしそうこうするうちに最近、おそらく最近のTV番組の影響などもあるのだと思うが、YHさんの新しいDVDが発売されたことを知った。物が物なので、恥ずかしく、誰にも言えず、家人にも隠してこっそりと購入してみたのだが、これがイイ。声の張りや透明感などは、当然30年前と比ぶべくもないのだが、その分声の深みが増しており、私の耳にはより心地よく響いた。私の耳も、多分心も、加齢とともに劣化しているのだろう。おじさんにはおばさんの声が心地よいのだ、ということが分った。最近も、一人でいるときはかなりの頻度で聴いている。仕事中も、作業に差支えがない場合は聴いていたりする。運転していて道路が渋滞するとすかさずCDをかける。恥ずかしいが仕方がない。全く飽きることがない。自分はサルなのかもしれない。このDVDに飽きるころには、自分は昔のように元気になっているのではないか?という予感がしており、それを期待している。やっぱりオレ、最近ちょっと病んでいるみたいです。

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日本の車を買ったよ -6  峠をながしてみる [雑文]

日本の車を買ったよ -6  峠をながしてみる
Fruit20(2).jpgきつい仕事を終え、疲れた体を引きずってCのシートに潜り込む。このクルマのシートは、いわゆるバケットシートと言うやつなので、座る、というよりも潜り込む、という感じなのだ。しかしそれもまたいい。気分が盛り上がる。背中を丸めながら、すぽりと尻をシートにおさめる。ドアを閉めてキーをひねり、真っ赤なスタートボタンを押してエンジンを目覚めさせる。エンジンの手入れは行き届いているので、一発で低い“声”を響かせながらエンジンに火が入る。エンジンが温まるまで、その鼓動?を楽しみながら暫く待つ。エンジンの振動が腰に快い。数分待ち、水温計の針(デジタルだがやはり“針“と書きたいところ)が動き出すのを確認してから、おもむろにギアを1速に入れてクラッチをつなぎ、サイドブレーキを開放しながらゆっくりと走り出す。さあ今日はどこまで行こうか?ゴロゴロというロードホールディングノイズが耳に優しい。

車全体の様子を見るために、わざとギャップを踏んだりしながら、ヒール&トー(自分は足が大きいのでthumb and pinkyになる:親指と小指、という意味だ。為念)やダブルクラッチを何度か繰り返す。車は十分に温まっているようだ。しかしガスがあまり入っていない。GSに寄ってハイオクを満タンにし、空気圧をチェックして準備完了だ。スピードは出さないので、今日は標準よりわずかに低めに設定してみる。燃費は落ちるが踏ん張りがきく。この車の場合、特に空気圧の設定は重要だ。さて、どこへ足を延ばそう、、、走ること自体が目的なので、どこへ行ってもいいのだが、、、そうだ、今日は峠のお蕎麦屋さんに行こう!

ゆっくりと地べたを這いながら、エンジンの音やコクコクとしたシフトの感触を楽しむ。特にスピードを出す必要はない。ゆっくりドライブも楽しいものだ。コーナーに高めの速度で飛び込んで、車の限界を確かめつつ、峠へ、峠へ、峠へ、と走ってゆく。時々、運転がとても上手な人がいるので、そういう人を見つけたときは後ろに張り付いて、ライン取を勉強させていただく。至福の時だ。このあたりは程よい田舎なので、車に凝る人が多いらしく、きれいに磨き上げた旧車に乗って楽しそうに微笑んでいるご夫婦などをよく目にする。ケンメリなどの日産車が圧倒的に多い印象だが、個人的にはいすゞのベレットが好みだ。自分も車と一緒に古くなって、家人を乗せてあんなふうにこのあたりを流せるといいな、等と考える。また、まだ寒いのに、ロドスタやコペン、たまにビートなどのオープンカーでドライブを楽しんでいる人たちもいる。なんてうらやましい。いかにもスピードが出そうな自転車や、高そうなバイク、それから古い(旧い、と書くべきだろう)バイクで道を流している人たちもたくさん見かける。これまたうらやましい。しかしわたしはしがないオジサンで、しがらみも多く、今死んでしまうわけにはいかないのでバイクは我慢するしかない、、、。

そうこうするうちに道を走る車の数が減ってゆく。やがてお山の入り口に到着だ。車線が減ってコーナーがきつくなる。道の舗装は荒れており、時々ダンプカーが結構なスピードで走っていたりする。クルマの温度計を見ると、平地と比べて2-3度は気温が低いようだ。山の空気はフレッシュなので、まわりにクルマがいないときは窓を開け放って開放感を満喫する。天井はついているが、それでもかなりいい感じだ。クルマに乗りながら、森林浴が楽しめる。

ちょっとだけ気合を入れて、シフトダウンしてギアを一つ、二つと落としてゆく。5000回転をこえると、エンジンの音は“咆哮”といった趣を加えるので、走っているスピードがたとえ低くても、うきうきと楽しくなってしまう。コーナーでは速度を計算し、回転を合わせながらさらにシフトダウンして狙ったラインをトレースする。バケットシートのサイドサポートに体が押し付けられるのが快感だ。ナビを買ってみて初めて気が付いたのだが、カーナビを横目でにらみながら運転すると、コーナーのRや出口の様子の予測が立つため、多少飛ばしても安全だ。家族持ちのオヤジにとって安全は何よりも大切なものなのだ。CのエンジンはVtec仕様になっており、5600回転を超えるとカムシャフトの動きが変わり、エンジンの性格も、音も、一変する。まるでロケットがついているかのようだ。これはスバラシイ。かといって、一昔前の”ドッカンターボ”のように、不自然な変化をするわけではない。回転数を聴くと驚く人が多いと思うが、ギヤ比が高く設定されているため、普通のクルマで走っている感覚の倍くらいの回転数をタコメーターが示すことが多い。レッドゾーンはなんと8500回転からだ。6速に入れて燃費運転を試みたとしても、速度100㌔で走っているときには、なんと3000回転以上楽しそうにエンジンが回っているのだ。そうではあるのだが、思い切りエンジンを回して楽しんでも、タンクあたりの燃費が10㌔を切ることがない。なんという経済的なスポーツカーなんだろう。この車を選んでヨカッタ。

能書きはともかく、この楽しいエンジンを時には5600回転以上回し、ワンワンと“うたわせ”ながら、次々と続くコーナーを楽しみつつ山を登って行った。対向車がいるとき、近くに自転車がいるとき、歩行者がいるときは、交通規則を順守した超安全運転をしている。それでも超絶楽しい。車は運転しているだけでこんなに楽しいものだったとは知らなかった。自分の人生に“峠を攻める”などという瞬間があるとは思わなかった。いい年になってからようやく“走り屋”といわれる人たちの気持ちがわかった。長生きはするものだ。人生捨てたもんじゃあない。

いい具合に血圧と心拍数が上がった状態で、峠の中腹にあるお気に入りのお蕎麦屋さんに到着した、、、、しかしなんだか宴会をやっているようで、車を止めるスペースがない、、、、しばらくぐるぐると、お蕎麦屋さんの辺りを未練たらたらで走り回る、、、、しかしやはり無理だ。あきらめるしかない。あきらめよう。残念だ。

その後峠を上りきって、やはり少しだけ頑張りながら急勾配を駆け降りて、その日のドライブを終えた。一緒に走ろう、と絡んでくれるバイクなどもおり、大変楽しかった(結果は完敗だったが)。あんなにエンジンを回し、タイヤを軋ませて走り回ったのに、Cには傷一つついていない。機嫌のよい犬のような顔をして、次のドライブを待っている。本当にいい買い物をした。かつての某H社ディーラーの応対以外は心から満足している。できるだけ長く、この車と一緒に時を刻んでいきたいと思っている。乗り心地が悪いので家人の評判は悪いけれど。

峠には地元の車がたくさん走っておられたが、かるいドリフトを決めながらワンボックスカーを振り回すグラサンのお父さんには本当にびっくりした。また、古い日産マーチを駆ってきれいな走りを見せるオヤジにもシビレタ。迷いひとつないドライビングで鋭いラインをトレースし、車体をきれいにロールさせながらコーナーを駆け抜けてゆく姿は、あまりのかっこよさに後光が射していた。このあたりの峠を知り尽くしているようで、ものすごく運転がうまい人だった。最高に気に入ったのは、車高をうんと高くしたジムニーの人たちだ。峠の上りでは彼らは私のCに軽くおいていかれるのだが、下りのコーナーではスピードを落とさず、車体を斜めに、ほとんど“く“の時になりながら高速コーナーを次々とクリアしていった。びっくりして、少し笑って、その後ほとんど尊敬した。HondaのVtec軍団がワンワン唸りをあげながら、それでも比較的安全な感じで峠を楽しんでいたり、古いカワサキのFx(個人的に懐かしい単車だ)が走っていたり。事故さえ起こさなければ、峠は大人のワンダーランドだ。素晴らしい休日を過ごさせてもらった。楽しかった。

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高価な楽器を購入する話 7 [雑文]

高価な楽器を購入する話 7 -Gerrit van Bergeijk Guitar-
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Gerrit van Bergeijk というのが、私が選んだLuthierの名前だ。Gerritと呼ばせてもらっている。

いろいろなことがあった。結局トップが割れてしまった一台目のギターは、Gerritによれば”おそらく乾燥のため”に割れた、という見立てで、何度か連絡をくれたところによれば、加湿等の処置で”傷一つ残さずに治すことができた”とのことであった。また、塗装や木部の複数の問題も理解・共有してくれ、私が納得できるレベルに修理する、と言ってくれた。ずいぶん良心的に対応してくれたと思う。欧米人の場合、面倒くさくなると”シカト”を決め込む人が多いように思うので(もうお金も払ってしまったことだし)、私は運がよかったのだと思う。我々日本人が海外に売っている製品の完成度を見てもわかるように、我々の”もの”や”道具”に対する要求水準は高く、楽器もその例外ではない。きちんとしていないと気持ちが悪いわけだ。まあ、個人差は文化の差よりも大きいだろうから、あくまでも一般的な話になるが。ましてや大切な楽器がいい加減に作られているなんでとてもとても許容できない。同じように考えている、身の回りにある製品に高いレベルの完成度を求める人が多い国は、日本以外には、世界中を見回してもおそらくドイツくらいだろうと思われる。私がドイツやその文化を熟知しているわけではないのだけれど。楽器は弾いてなんぼのものなので、見てくれはどうでもいいのだ、という考え方は成立するだろう。しかし私は、私自身はそれでは絶対に嫌なのだ。せっかく大金を払って時間を費やして楽器を作ってもらうのだから、弾きやすく、いい音がして、さらに美しい楽器を手に入れたいと願う。金も時間も手間もこの際問題ではない。妥協はしない、できない。Gerritが作ってくれた一台目の楽器は、やや弾きにくく手なずけるのに時間がかかったが、非常に素晴らしい音色を持っていた。私が右手と左手の使い方を楽器に合わせて大きく変える必要があったが、それはむしろ当然のことだ。しかし仕上げが荒削りで傷だらけ、ねじ穴をあけたあとをふさいだりしているのはどうも納得がいかなかった。しかもトップが割れるという不幸に見舞われた。個人でできる最大限の予防をしていたにもかかわらず、だ。

こちらも大人の対応を心掛けたが、Gerritの応対は素晴らしかった。送料も自分が持つからとにかく壊れた楽器を送ってくれ、完璧に直して送り返す、と言ってきた。結局送料は私がそう主張して私自身が払ったのだが(結構高かったし、準備も大変だった)、彼は何度も自分が負担すると言ってくれた。Gerritは裕福な有名製作家なのか、そうではないのかわからないけれど、人柄がいいことは間違いない。とにかく、リペアは製作よりも技術的に難しいので、内心ひやひやしながら待った。しかしこの人に賭けたわけだから、上手くいかなくてもその結果を受け入れようと腹は決めていた。

一方の新しい楽器だが、Gerritは私の演奏スタイルに合わせて、やや薄く小ぶりのボディで、細目のネックの楽器を作ってくれたらしい。一度だけ”ネックを小さくしてよいか”、と連絡があったため、”木取りの問題で細くしたいの?”と返答したら、”木はいくらでもストックがある。よりよいバランスの楽器を作りたいんだ”と言ってきたので、”すべて任せるのでいいようにやってくれ。値段は多少高くなってもいいから、今できるベストの仕事をしてほしい”とお願いしておいた。だからどんな楽器が送り付けられてきたとしても、文句は言えないし、言うつもりもない。

さて、その後何度もGerritとEmailでやりとりをした。製作途中の写真も送ってもらった。合計すると100通を超えるのではないか。飽きずに何度もやり取りしたものだ。彼もよく付き合ってくれたものだ。少なくとも私が音楽に注いでいる情熱の暑苦しさくらいは伝わったのだと思う。そしてとうとう運命の日が訪れた。”***便で送った”という連絡が入る、、、。ああ、本当に長い道のりだった。休日を取って荷物を受け取ることを予定していた。問題があった場合に迅速に対処するためだ。しかしなんということだろう、楽器はすでに東京に到着しているのに、そこで何日も放置されているようだ、、、何度もトラッキングをしてみると、オランダに文書を要請して待つなどと書いてある。しかし私には何の連絡もない。どういうことだ?憤って電話をかけてみる。

すると、修理から上がってきた楽器にも消費税をかけたいという。何を言っているのだ?頭が腐っているのかこいつは?同じ楽器に2回税金を払えというのか?理由を問うと、修理をした楽器はとてもきれいで、新品同様だから消費税を払ってもらいたいと繰り返す。修理した楽器がきれいなのは当たり前だ。何のための修理だと思っているんだ!しかしお金を払わなければ、いつ配達できるかわからない、とほとんど脅迫された。結局合計4-5人のスタッフと話をした。応対が丁寧な人もいたが、税金に関しては全くらちが明かなかなかった。楽器を保存してある倉庫は、温度も湿度も管理されていないのだという。このくそ熱いこの季節の日本で!オレは気が狂いそうだったね。某国に住んでいた時は、***はきっちりと仕事をしてくれた。問題となるようなことはなかったように記憶している。しかし我が国の***は、税金の支払いについては非協力的だし、午後5時以降は配送しないというし、日曜日もだめだというし、だめだだめだと繰り返すばかり。とにかく金を払えの一点張りだ。手数料も払ってもらう必要があるという。しまいには荷物を取りに来いという。フザケルナ!しかし大事な楽器を人質に取られているのでこちらはどうしようもできない。日本の***のサービスは業界最低だ、という情報を後にWebで手に入れたが、後の祭りだ。身を以て実感することになってしまった。本当に文字通り最悪だ。***のスタッフの人たちと話をしていると、某国によくいる主張ばかりするが仕事をする気にない、出来の悪い脳タリンと話をしているような気がした。(不適切な表現失礼いたしました。しかし脳タリンと表現するしかない。)Gerritが経過を聞いてくるので、実情を伝えたところ私のためにずいぶん怒ってくれた。現地の***にもすぐに連絡を取ってくれた。

仕方がない。話をしても無駄のようだ。まず大切な楽器を手に入れてからお金を取り返すことにした。オランダの***も話がおかしいから協力すると言ってくれている。この件については、後日談としてまたアップしたい。Gerritも気をもんでいるようだし。

とにかく、そのような事情で、結局1日半有給を使うことを余儀なくされた。***からお詫びの言葉はない。しかも約束した時間には配送されず、勝手に留守電に”早く来る”とメッセージを残して我が家に勝手な時間に来て、”今お宅につきましたー”、と、お気楽な声で電話をかけてきた。時間の約束をした覚えはないだと?馬鹿野郎!どこまで腐っているんだ***!約束を守らないやつは生きている資格がないんだぜ!金をとるだけの仕事をしろ!日本人なら腹を切れ!恥を知れ!というのが本心なのだが、怒りを押し殺して、数時間後に再配送するよう依頼した。***のスタッフとできるだけ目を合わせないようにして、怒鳴りつけないように最大限の注意をしながら、必要な書類がそろっていることを注意深く確認したうえで本来の倍以上の消費税を納めた。しかしここで嫌な気持ちに封印して、戦いは後ですることにして、ようやく手に入れた二台の楽器に心を向けた。

Gerritに報告するためにたくさんの写真を撮りながら、慎重に慎重を重ねて、ギターケースを汚れてしまった段ボールからどりだした。単独で買えばけっこうな値段がするHiscoxのケースの表面がけっこう傷々になっていたため中身が無事かどうか本当に心配した。大事に部屋に運び込んで、段ボールを処理して、、、そしてドキドキしながら一つ目のケースをあける。これは新しい楽器のほうだ。フレンチポリッシュ独特のいい薫りに、新しい木やニスに匂いが混じって独特の雰囲気をかもしだしている。出てきた楽器はピカピカ、完璧でたいそう美しい(木目を埋める塗装をしなくってもいい、といったのだが、私がこだわりが強いことを察して薄めだがピカピカの塗装をしてくれたようだ。強度が低いフレンチポリッシュは表面版だけ)。チューニングをして音を出してみる、、、、と、、、これは素晴らしい。新しい小さめの楽器なのだが、ネックはまるでエレキを挽いているように手になじむ。これはいい。新しく、軽めの弦を張ってあることもあってボディの鳴りは今一つで音は固めだが、これからどんなふうに育っていくの楽しみだ。楽器が健康であることを隅々まで確認してからケースに戻す。一安心だ。

リペア済みの懐かしい楽器はどうなって帰ってきただろうか?新しいのより大き目のHiscoxのケースをあけて、久しぶりの再会だ。こちらも素晴らしい。トップの割れはほぼわからない。ヘッドの傷や塗装の問題、指板の荒れや傷、ネックとボディの接合部の塗装、ペグのボタンの割れ、、、などなど、私が覚えている限りの問題は、ほぼすべて解決済みだ。いい仕事をしてくれたようだ。ありがたい。また、ブリッジにも手を加えてくれたようで、テンションのきつい重い弦を張ってあるにもかかわらず、ものすごく手になじんで弾きやすい。指に対する負担も、リペア前に比べるとずいぶん減っている。何時間でも弾き続けることができそうだ。音のバランスも良く、倍音も適度に鳴って、弾いていて気持ちが良い。こんなに好い楽器だったっけ?サイドに開けられた二つのモニタホールも有効に機能しているようだ。この楽器はかつてしばらく弾いていたこともあり、すでにこなれ始めてきている印象で、弦の振動に敏感に反応たボディがスピーカーのように機能していることが弾いている間中感じられて快感だ。弦がわずかに伸びるしなやかな感じが直接指に伝わってきて、弾くいていること自体が気持ちが良い。つい涎を垂らしてしまう。文句なしで素晴らしい楽器だ。最高だ。

この日を迎えるまで、ものすごく意味のない苦労をした。時間もお金も使った。***との戦いが残っているが、ようやく、望みの楽器を手にすることができた。しかも2本同時に。満足できる品質だし、何か問題があればGerritに相談すれば何とかしてくれるだろう。一安心だ。今回こんなに苦労したのは、”よその会社の楽器は買いません”、と決めたHeritageとの約束を破ったのがいけなかったのかもしれない。でも彼らはクラギを作っていないからなあ、、、。問題は、アメリカから楽器を買うのと、ヨーロッパから買うのでは、壁の高さが違う、ということだけだったのかもしれないが。後日談をそのうち書いてみようと思う。

日本語だとGerritが読めないので、英語版も書いてみるつもりだ。
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アンナミラーズのおもひで [雑文]

アンナミラーズのおもひで

よく行ってお世話になったのはA店だ。その辺りは外国から仕事で来ている方々も多く、女子大などもあり、かわいいお姉ちゃんやかっこいいお兄ちゃんがたくさん生息している土地柄である。アメリカ風パイを売りにしているこのお店、お値段はお世辞にも安いとは言えないのだが、周囲の飲食店もマックなどを除いてお安くはないところがほとんどなので、土地柄にマッチしたお店だったと思う。中に入ってみると、小ぶりなテーブルがちまちまと並んでおり、ショッキングピンクのかわいらしいコスチュームのウェイトレスさんたちがにこにことサーブしてくれた。コーヒーが飲み放題であったように記憶しているが、仕事で疲れた青年?であった私には、格好の息抜きの場所だった。長々とだべっていても、あまり文句を言われなかったような印象で、”金持ちケンカせず”の雰囲気が漂っていた。それでもやっぱりウェイトレスさんのユニホームが自分には刺激的すぎたので、あまりのんびりはできなかったような気がする。もったいなかった。それで、オネイサンたちがたくさんいて、調理担当の少し地味な格好をした、やはり若いオネイサンたちも数人いて、みんな大変感じが良い、夢のようないい雰囲気のお店だった。青年である私が、オネイサンたちに点数が甘いことは差し引いて読んでほしい。

しかし当時、店長さんと思われるまだ年若い男性がおり、この人はひどかった。見かけは清潔感があってなかなか良いのだが、困ったところのある人のようだった。圧倒的な数の、かわいいユニフォームを着た女性たちに一日中囲まれていれば、きっと夢のように楽しく、たいていのことは水に流して楽しい毎日を送ることができそうに思うのだが、-私なら間違いなくそうだ- 私の数少ない利用機会に、何度もウェイトレスさんたちを怒鳴りつけている現場を見てしまっている。しかも客の目の前でだ。許されることではない。それを見たときは、なんだか悲しい気持ちになってしまってしばらくお店に寄り付かなかったのだが、しばらくしてあの巨大なパイを食べたくなってまたお店に足を運ぶと、同じような悲しい光景が目の前に展開していて、、、。そんなことが複数回繰り返された。その店長さんと思われる男性が問題だったのかどうかはわからないが、そんなこんなで、私が国を離れているうちにA店はなくなってしまったようだ。残念だ。

帰国後に数回、B店を訪れている。ここ一発の時のお土産に、利用させていただいているのだが、重くて大きいので持ち運びが大変、という以外、女性や子供たちにはバカ受けで、外したことがない。どこで買ったの?なんて聞かれるととっても気分がいい。うんうん。それで最近また、お土産にしようとお店に足を運んだところ、なんとユニフォームが昔のものに戻っているではないですか!目がちかちかしたよ。感じのいいウェイトレスさんたち、ちょっと地味だがにこにこしている厨房のオネイサンたち、圧倒的多数の女性たちに囲まれて厨房の奥で全身でにこにことしている店長さんと思われるまだ若い男性、、、。昔が戻ってきたみたいだった。私はもう青年ではないが、華やかで清潔な雰囲気に身をおくと、やっぱり楽しい気分になる。その時の会計担当のオネイサンがちょっと怖いかな?と思ったが、文句はない。B店の店長さんが不適切な言葉の暴力をふるうことなく、お店がなくならないことを強く強く希望している。
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香るアジア人 [雑文]

香るアジア人

今朝は少し良い服を着て電車で通勤した。座席に座るのが嫌なので、立ったままで電車に乗っていくつもりでいたのだが、沢山席が空いているのでついつい座ってしまった。電車の座席は、どうしてか、端っこの席に人気がある。壁に寄りかかって休んだり眠ったりできるからなのかもしれない。が、私の場合は、お隣になる人が一人だけで済むのがとても助かる。見知らぬ人と一時であってもぺったりとひっついて移動するのがどうにも苦痛なのだ。病気なのはわかっているので許してほしい。ぺったりしても快適でいられるのは家族と愛人だけだ、、、。だから車での移動の方が好ましいのだが、昔有名なギタリストが言っていたように、“公共の交通機関を使わなくなると、世の中のことが何もわからなくなる 人生を失うことになる”というのは本当のような気がしている。まあ、高邁な話はどうでも良いのだが、自分の場合、狭い車内、肩を並べる人が気になるわけだ。

最初にお隣になった人は、、、スポーティーな服を着た中年の女性だった。私は隣に座る人が女性だとホッとする。それは、女の人に触れたいからではなく、清潔にしている人が多いからだ。しかるに今朝のお隣さんは、そこはかとなく埃っぽい香りを漂わせており、必ずしも清潔ではないようだ。タバコのやに?のかほり。そこで巨大な私の体をできるだけ細くする努力をして、本の世界に没頭して時間をやり過ごしていたのだが、このおばさまは、暖かい車内で眠くなってきたらしく、目をつむって恍惚の世界に、、、。そしてだんだんと斜めになって、私の温かいコートに頭を擦り付け始めた、、、、ヤメテクレ!しかし私の願いはかなえられることなく、おばさまの頭の重みを感じつつ電車に揺られることに、、、。揺れるたびに髪の毛から煙草が匂う。肺癌になりそうだ。なんだかこのひとのジャンパーを私のコートに擦り付けられているような気もする、、、いやだな、、、と。しかし暫くすると、この方はぱっちりと目を覚まして電車を降りて行った、、、、やれやれだ。自分の病気にもほとほとあきれてしまう。

某大きな駅に停車したのだが、次に私の隣に座ったのは、、、、どうも大陸系アジア人のような男性だ。見たこともないブランドのジョグシュー、なぜか真っ黒、しかもピタピタなズボン。昔でいう“マンボズボン”だ。そして綿がところどころはみ出してしまったジャンパー。顔はなかなかかわいいのだが、女性ではなく若いにーちゃんのようだ。そこはかとなくにおうので、体を壁に押し付けて、コートが彼に触れないように体の左側に出来るだけ寄せる、、、といっても限界があるが。そのままの不自然な形でできるだけ体を細く保ちつつ、本を読んで覚醒度を高め、“警戒”しながら電車に揺られた。しかしこの人は意外にお行儀がよく、背を伸ばしておとなしく電車に揺られている、、、、ああ助かった、、、、と思ったのも束の間、ものすごい刺激臭で私のお鼻を直撃、、、、これはすごい!頭がくらくらして涙がにじんできた、、、、。一体全体何の匂いなんだろう?怒りを通り越して不思議な気持ちになってしまった。韓国で食べられる発酵したアカエイみたいな感じ?オランダの発酵したニシンみたいな感じ?とにかく発酵系刺激臭である事には間違いがない。涙を誘う香りだ。立ち上がるどうか、あまりの刺激にぼんやりとしてしまった頭で迷っているうちに、私が降りる駅が近付いてきた、、、ああ、、、新鮮な空気っておいしい。涙も止まった。今朝は、ずいぶんとつらい通勤であった。


この某電車にのる人たちはあまり上品ではなく、とくに肉体労働者系の、わりと汚れた服を着ている人たちと(泥だらけのコートなんか着ている。ガテン系でもこれみよがしに小ざっぱりとした服装で清潔感を漂わせている人もいる。)、スーツ組との戦いは壮絶だ。スーツ組は椅子に座ると、通勤の一時を少しでも快適に過ごそうと、目をつぶってしまうひとが多いのだが、こういった人(女性もいる)に、泥だらけのコートをぐりぐりと擦り付けて意に介さないガテン系の人たちを何度も見た。ブルーカラー系の数人が椅子を占拠してこれ見よがしに足を延ばし、通勤電車の一部を支配している?様子を目にすることもあった。椅子の取り合いで怒鳴りあいとか殴り合いとか、私自身も背広組の男性に蹴りを入れられたことがあった。Blue 対Whiteの戦いは今後も続くことが予想されるが、みんな通勤で疲れているのだ。イライラするのは仕方がない。通勤でなければ、恐らくお互いに気をつかって棲み分けることで、それなりの秩序の中で移動を楽しめるのに、、、。何とかならないものだろうか?

私は長時間読書をすることが出来るので、電車通勤は好きだ。しかし蛍光灯をはずして車内を暗くするのは勘弁してほしい。鉄道会社は眼医者さんや眼鏡屋さんからお金をもらっているのだろうか?ただでさえ電車の中での読書は疲れやすいのに、暗いと目がすぐに疲れてしまうので、“やめてほしい”、と強く希望している。

ともあれ、周囲の人の言動によらず、たとえ電車の中であっても、日本人としての品位を保って生きていきたいものだ、と考えている。

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本当に必要なもの1 [雑文]

本当に必要なもの1

私は結構ひどい乱視だ。親の遺伝だと医者は言うのだが、こいつにはいろいろと苦労させられてきた。夜にふと夜空を見上げると、お月様が3つも見えたりするのはいいのだが、大好きな本を長時間読んでいると字が必要以上に沢山見える?し、根性で読み続けると肩がコンクリの様に固まってしまったりする。それで結局、長年メガネを愛用している。コンタクトは正直言ってちょっと怖いし、レーシックはさらにさらにおそろしい。身の回りにはたまたまレーシック手術を受けた人間がたくさんいたのだが、術後に真っ赤な目をして、サングラスで目を隠しながら、日に何度も目薬をさしまくっている姿を見ると、とても自分がやってみようとは思えなかった。くわばらくわばら。

数年前からいわゆる老眼を合併したため、メガネを作り替える必要に迫られた。それで手を出したのが、当時アイフォリクスと呼ばれていた製品だ。(http://www.swissflex.net/products/product3.html)眼科の大柄でふくよかなオネイサンが、“私もかけているの。ものすっごく丈夫よー”、といって、オネイサン自身がかけていた、緑のフレームのメガネをはずしてぐりぐりと曲げてその丈夫さをとっても具体的に見せてくれた。“やめてやめて”といいつつそのオネイサンのメガネが気に入ってしまい、すぐに購入することにした。しかし私のお鼻にはどうもぴったりと馴染んでくれず、何度も何度も調整を繰り返し、ツルの部分を曲げたり、鼻にあたる部分の大きさを何度も取り替えてみたり、いいかげん疲れ果ててしまった。これを買った職場の同僚たち数名も同じような意見を持っていたので、一時期眼医者さんと喧嘩のようないざこざになったっけ。(田舎街なので、みんな同じお店で買うしかなかった)しかし思い起こしてみると、なかなかいいメガネだったと思う。激軽のプラスチックのメガネとして最初の製品かどうかは知らないが、恐らくエポックメイキングなメガネだったのだろうと思う。スイスの製品だったと記憶している。

何が悪いのか?つらつらと考えて、私は自分の頭が少しだけ歪んでいて左右対称ではないのが原因なのでは?という結論に達した。私の頭は、私の心同様にバランスがよろしくないのだ。自分の頭にピタリとあった“歪んだ”メガネを手に入れることが出来れば、お鼻からずり落ちない、快適なメガネライフを送ることが出来るのではないだろうか?と考えた。アイフォリクスを使いながらいろいろと調べ物をして、どうもアイメトリクスの製品がよさそうだ、という結論に達した。(http://www.eyemetrics.co.jp/)こちらもアイフォリクス同様、もともとはスイスのメガネ会社で、日本のIメガネと提携しているようだ。Iメガネならばお値段お高めだろうけれど信頼できそうだ、と、古くなったアイフォリクスの代わりになるメガネを新調することにした。

“よくデパートに支店を開いている上品でちょっと高級な眼鏡屋さん”、というのが個人的なIメガネの印象なのだが、調べてみると、1932年に渋谷の道玄坂に誕生した志の高い眼鏡屋さんだそうな。ナルホド。それでは、と、早速身近な支店に足を運んでみた。そうすると、店員さんたちのほとんどがメガネをかけており、“メガネの事は何でも知っていますよ、任せてくださいな“、という顔をして自信にあふれている。これは信頼できそうだ。いいぞいいぞ。それで、アイメトリクスのメガネを作りたい旨伝えると、にっこりとほほ笑んだ感じのいい女性店員さんに、なんだか大きな機械に座らされて頭の形やサイズなどを計測され、その後に結構時間をかけた丁寧な検眼をしてもらい、それでメガネを作る準備が整ったようだ。シリーズとか色とかレンズの形とかをどんどん勝手に選べば、それで全ての注文が通ってしまうらしい。超簡単だ。記憶が今一つあやふやだが、1週間ほど待った後に待望のアイメトリクスのメガネを手に入れた。見るからに日本製の高品質なメガネといった印象で(スイスの会社が開発したものではあるが、実際に作っているのは日本人の筈だ)、隅々まで気をつかって作ってある。なかなかよいな、と納得して大枚ウン万円を支払った。暫くはメガネの事について心配しなくてもいいな、と思い込んでいたのだ、この時は。そういうわけで、どこに行くにも機嫌よくお気に入りのアイメトをかけて出かけた。オーダーメイドで作っただけあって、アタマをどんなに激しく動かしても(ほぼ)全くメガネがずれない。さすがはIメガネのメガネだ、と当初は満足していた。老眼にも対応したメガネで、やや重いのが気になったが、全体から漂う”いいもの感“が気に入っていた。幸せな数週間だった。その後何が起きたかって?それをこれから書いてみようと思う。

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本当に必要なもの2 [雑文]

本当に必要なもの2

暫くそのメガネを使った後だった。メガネをはずした時、お鼻の両側に深いくぼみが残されるようになったことに気付いた。やはりぴったりと頭に合わせて作ってあるので、メガネが無駄に動いたりせず、鼻あてがお鼻の同じ部分に当たり続けるのでそうなるのだと思っていた。また、年を取ってジジイになってきたので体の抵抗力がなくなりつつあるのかな、なんていう風にも考えていた。だってそんなことはそれまでの長いメガネライフでは一度もなかったことなのだ。しかしお鼻のへこみは翌朝までにはきれいに消えているので、気にせずにどんどんアイメトをかけていた。しかししかし、そのうちに鼻あてが当たるお鼻の側面におできができて、やがてなななんと流血!おできが治るのを待って再びメガネを使用すると再び同じ流血のサイクルを繰りかえすことになった。事ここに及んで、これはメガネのせいかな?と考えざるを得ず、Iに相談に行った。そうするとさすがIメガネ、“ご迷惑をおかけしました”“注意して調整させていただきます”と、丁寧に対応してくれた。私の個人データを基にしてメガネを調整してくれたのだと思うが、それで一応納得して帰宅した。しかし数週間すると同じ結果に、、、。お鼻が大げさではなく血まみれになった。自分の頭がゆがんでいるので、そういう人には一番好いと言われているアイメトを選んだのに、こんなことになるなんて、、、。これならまだ、古くなったアイフォリクスの方が全然ましだ。それでとうとうアタマに来てしまい(人間が出来ていないので)、得意のbroken Englishを駆使してスイスの本社に掛け合ってみた。“何とかしてください”、と。そうしたらスイスの本社は東京の支社に“何とかしろ”と命令し、今度は東京の支社から私がお世話になっているIの支店に苦情が流れてきたという、、、、。結局現場のスタッフの方が嫌な気持ちになっただけで、何の解決にもならなかった。外国仕込みの解決方法は日本ではうまくいかにようだ。それで浪花節で行くことにして、支店に電話で相談してみた。何とか助けてくれませんか?ていう調子で。若い女性店員さん対応してくれ、鼻あての大きい奴とか柔らかい奴とかがある、という話になったので、これはいい話を聞いた、そういうヤツに交換すれば何とかなりそう、なんでもっと早く言ってくれなかったの?と喜びで体をくねらせながらお店に伺った。ちょっと気まずい気持ちでIメガネに伺うと、”調整には自信がある”という壮年の男性が対応してくれた。

この方はさすがにキャリアがあり、いい感じの壮年男性であったのだが、数日前に電話で伺った話とは違い、私の購入したモデルには鼻あての選択肢が無い、とおっしゃる。このあたりでまた切れてしまった。自分は仕事に使うために手間暇をかけてこのメガネを購入したこと、購入前の説明とは違い、メガネをかけると血が出るほど鼻に負担がかかり、使い続けることが難しい事、無理をして時間を作ってお店に出向いたのに、期待していた鼻あてのリプレイスを提供してもらえないこと。などを訴え、とにかく何とか快適なメガネに調整して欲しい、とお願いした。お金は必要なだけ払うので、ぜひお願いしたいとお願いした時には、多少声が大きくなっていたかもしれない。この方は苦情には動ぜず、調整は出来るが鼻あての選択肢が無いので本質的な解決にはならないこと、アイメトではなく、従来のメガネであれば自信があること、などなど、正直に話をしてくれた。信頼してもよさそうだと思った。

それでどうしたかって?私の対応はこうだ。
1. 以後、私のメガネの調整は、この方にお願いした→ご承諾いただいた
2. 現在使っている、購入して間もない眼鏡を、出来る範囲で最良の調整をお願いした→ご承諾いただいた
3. アイメトでお鼻に優しい眼鏡をもう一つ作ってみるので、責任を持って担当して欲しい旨お願いした→ご承諾いただいた

我ながら少し判断が狂っていたかもしれないが、この通りに対応していただいた。それで、最初に作ったメガネは短時間のみの利用にとどめ、長時間メガネをかけ続けるときは新しく作ったアイメトを使うことにした。これで私のメガネライフが何とか安定したと思ったのだが、そうはいかなかった。話が長くなるのでこのあたりで一回〆よう。


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田舎のお家 [雑文]

田舎のお家を 買うかもしれない。
つらつらとWebをみながら探している。
おそらく条件のいいものは、一般に紹介される前に売れてしまうのだろうけれど。
結構な田舎まで足を伸ばせば数百万円で土地付きのお家を買うことができるらしい。
そりゃあ数百万だって大金には違いない。
でもオレは何を苦労して今の家を買ったのだろう?としみじみ。
命を削って買ったのに、何だが馬鹿らしくなってしまう。
田舎でいいなら田舎に住んだほうがいいような気がする。
気になるのは近所付き合いくらいだ。
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