SSブログ

徒然Mazda2 2022/1-1 後ろのドアがぺらぺら [クルマ]

徒然Mazda2 2022/1-1 後ろのドアがぺらぺら


必要があってこのクルマを買い足した。我ながら、クルマを2台持つなどとんでもない贅沢をしているのだが、病人を運ぶためなので仕方がない、狭い路地を走るためにどうしても小さいクルマが必要だったのだ。Mazda2には大変失礼なのだが、必要がなくなれば売ってしまう心積もりでいたのだ、本当のことを言えば。しかし今や私はこの小さなMazda2をすっかり気に入ってしまい、一時など明らかにF30よりも頻繁に乗っていた。クルマの寿命が尽きるまで乗ることになるだろう。こいつは小さいし、軽いし、乗り心地はいいし、燃費だって悪くない。ペダルもシフトも軽いし、いろいろ細かい機能がついていて全てがきちんと機能する。高級感は全くないが、乗っていて気楽で楽しいのだ。このクルマを走らせていると、やはり日本の狭い道路には5ナンバーサイズがフィットしていると実感せざるを得ない。実はこいつを買うときには、Mazda3とどちらにするかずいぶん迷った。Mazda3はなんというか、普遍性のあるデザインで、買っておけばやはり寿命が尽きるまでそれなりに満足して乗れるような気がしたのだ。Mazda2と同じエンジンを積んでいるモデルがほとんど同じような値段で売られており、ディーラーも売る気満々であったためおそらくいい条件で買うこともできたであろう。しかし私はそうはしなかった。F30とあらゆる意味でかぶらないことが購入の条件であったし、小柄なクルマが必要であったことも理由の一つではある。しかしもう1つだけ許せない問題があって、それでMazda3の購入に踏み切れなかった、あきらめた。それがリヤのドアのぺらぺら感だ。リヤのドアは側面衝突などに備えておそらく十分な強度を与えられているのだと思う。そうではあるが、ペラペラなドアがどうしても許せなかったのだ。Mazda2も同じような問題を持っており、ドアをさわってみるとものすごく軽いし、叩いてみるとなんというか、ブリキの缶のようでぽんぽこいうし、重厚感は全くない。それで実際できるでリヤドアを開けないようにしていたりする。楽しくないから。クルマは軽く作ることが正義なのでこれでもちろん問題ない、とくにMazda2の場合は小型車なのでこれで許されると思うのだが、Mazda3の場合、おそらくMazdaの標準となるクルマなので、ちょっとこのままではいけない、と思う。少なくともフロントドアと同じくらいの重厚感、というか、“丈夫ないい感じ”が必要だ。自分でやってみればすぐにわかるけれど、ドアを閉めた時の感触が本当に情けない、つまらないのだ。たとえばBMWの場合などは、ドアの開け閉めをするとボディの丈夫さを感じさせるようなドシンずしんとした音と振動でドアの丈夫さを伝えてくるので、開け閉めしているとそれだけで結構楽しめる。それだけで”いいクルマだなあ”って思ったりすることさえあるのだ。しかし、Mazda3の場合はぱしゃんというかぺこんというか、ともかく感覚的に許せないようなチープな感覚でドアが閉まるのだ。それがすごくいやだった。重量増加を覚悟してドアの内部に制振材のようなものを張り込むとか、リヤドアにスピーカーを仕込むなど何らかの付加機能を持たせると同時に重厚なドアのしめ心地を狙うとか、やり方はいろいろあるだろう。そうしないのは、Mazdaのエンジニアがこれでいいと思っているからなのだと思う。Mazda3は確かに高級車ではないが、触覚や聴覚からの情報は、クルマの所有欲を満たすためにはかなり大切なものだと思う。Mazdaならそういったこまかいことも考えてくれるのではないか、と期待する。MazdaのWebサイトにはこまごまとした、しかしおそらく大切なことを書き込む場所が見つからないので、こんなところでつぶやいている私なのだった。ドアだけはほんと、何とかしてほしい。だってMazda2のリヤゲートはいい感じでドスンと締ってくれるのだ。ああいった感覚をリヤのドアにも取り入れてもらえると、個人的にはとてもありがたい。オーナーとしての満足感がぐっと満たされると思う。次もあるかもしれない、と思ったりする。だって本質は細部に宿るのだ。私はそう思っている。

タグ:mazda2
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:自動車

"もの"としての"楽器" ⑪ Fujigen NTL21RAH-WB ネック裏の塗装 [音楽]

"もの"としての"楽器" ⑪ Fujigen NTL21RAH-WB ネック裏の塗装


Head.jpg

















日本が世界に誇るFujigenなので、沢山楽器を作っているのだろうと思う。楽器自体の色気みたいなものは少な目だと思うのだが、音程は正確だし、隅々までごくきちんと作られているし、本当によくできている。値段を考えると望外の仕上がりで、大変満足している。私は基本、シングルPUが好きなので、ソリッドボディでハムが載っている手元の楽器はこれだけだ。ハムの音が必要なときはどうしてもこれを使うことになる。もうレスポを買うことは無いだろうし。今後もどんどんFujigenのテレを使っていきたい。さて。


この楽器は、ネック裏におそらく塗装後にヤスリをかけるようなひと手間をかけているため、たいへん弾きやすい。多くの場合、艶消し仕上げをしているネックは、長期間激しく弾いていると、だんだんテカリが出てきて最後には艶出し仕上げになってしまうことが多いように思う。しかしこの楽器はいまのところそうではない。Gloss仕上げと艶消し仕上げの境界線は、写真のようにはっきりとしているのだが、指先の敏感なところで触ってみても、境界線のあたりでの塗装の厚さの差を感じることは無い。どうやって仕上げてあるのだろうか?謎は深まるばかりなのだが、どうやって作るのか、知っている方もおられるだろうが、答えはどうか私に教えないでほしい。知らないほうが楽しいことってあるじゃないですか。

タグ:FUJIGEN
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

2022/1/12 エイブラハム・ラボリエル [音楽]

2022/1/12 エイブラハム・ラボリエル


私自身、自分にあった本当に満足のいく楽器が世界のどこかにある筈だ、と思い込んでいるようなところがあり、借り物のYamahaのFalkギターから始まって数十本の楽器を巡りめぐっている。好き嫌いや憧れなどはもちろんあるのだが、結局楽器は自分の体に合わせるしかなく、人様の真似をしたり、理想を追うなど、頭でっかちになって無理をしても指や腰を痛めるだけでいいことはない。体を壊せば末永く音楽を楽しむことはできないだろう。楽器のことを考えると、いつも思い出すのはエイブ・ラボリエルのことだ。

エイブはちょっと太っちょの、カラフルな音色をもつベーシストであり、ジャズ系の音楽をこなすマルチでベストなミュージシャンの一人だ。この人はメキシコ出身でバークリー音楽院を卒業しており、聞くところによれば在学中はかなり熱心に長時間練習したとのこと。おそらく大学入学時にはあまり裕福ではなかったためか、彼の愛機は廉価な日本製の楽器であったと聞く。(ざっと調べてみたらGoyaというメーカーのベースを母国に帰るギリシャ人から400ドルで買ったとのこと。日本製か?謎は深まるばかりだ)彼は本来作曲などを学ぶためにバークリーに入った人であり、当時ベースは正式な専攻楽器として認められていなかったのでギター専攻であったとのこと。私にとって興味深かったことは、才能ある、既にいっぱしの音楽家であった彼は、自分が勉強しているアンサンブルでギターではなくベースを弾くことを許されていたらしいのだが、その安物の(60年代の400㌦だから必ずしも廉価ではなかったのかもしれないが、やはり当時はお金がなかったと記載されているエイブにかんする記事があった)楽器をとにかくいつでもどこでも弾きまくっていたらしく、周りの人は、音楽家なのだからもっとレベルの高い、値段の張る楽器、つまり“Fender”に買い替えるよう彼に勧めたのだが、彼は頑固に譲らず(お金がなかったからなのかも)、その“日本製”の廉価な楽器を弾きまくり、そうこうするうちにその楽器は素晴らしい音色に育っていって、最終的には仲間たちを音の魅力で納得させたという。個人的にはとてもいい話だと思う。これを書く前に下調べなどしなければよかったのだが、彼はメキシコではかなり有名な音楽一家で育ち、親兄弟、子供なども多くが音楽家であり、母国でもプロフェッショナルとしてすでに仕事をしていて、、、などという知らなくてもよいノイズのようなものが私の頭の中に蓄えられてしまった。これで話の本質が見えにくくなってしまったような気がする。子供のころに人差し指の先端をなくしてしまったことなども知ってしまった。

まあ、言いたいことは、楽器とは出会いが大切な事。作りさえしっかりしていれば値段はあまり問題にならないこと。ブランドも関係ないこと、真剣に付き合えば楽器はそれなりに育っていくこと、そういったことが音楽好きにとって大切なんだろうと思う。

もう一つ。名前は忘れてしまったが、アメリカの田舎?もしくは東ヨーロッパ系の出身のギター専攻の音楽家の話だ。彼もやはり学生時代にはあまり経済的に恵まれておらず、メキシコ製の廉価なストラトを使っていたという。こちらは下調べはしないで言いたいこと、大切な事だけを書こうと思う。彼はバークリーで熱心に勉強したが、将来には何の希望も持っていなかったとどこかのインタビューで言っていた。生きていければそれでいいさ、みたいな地味なことを話していた。なかなかかっこいいな。実際バークリーを出てもいい仕事に恵まれる人は多くはないようで、その証拠に私の身のまわりにもバークリー出身の方々か複数おられるのだが、多くは音楽を離れて生活しておられるのだ、驚くべきことに。また話がそれてしまった。私はADHDなのかもしれない。まあ、それで、彼はバークリーを卒業して細々と仕事をしていたのだが、なぜか仕事が途切れることはなく、だんだん経済的にも裕福になったので、そろそろ自分も、と、値段にこだわらずに自分自身のVoiceを探す旅に出た、つまり楽器漁りを始めたのだという。しかしお金も時間もできた頃には例のメキシコ製のお安い楽器がすでに自分の骨肉に、つまり変えようもない自分自身のVoice、肉声のようなものになってしまっており、結果的に学生時代からの付き合いであるメキシコストラトを大切にメンテして自分のメインの楽器として使い続けることに腹を決めた、との事であった。いい話でしょう?

やはり大切なのは楽器との出会いと付き合い方であって、値段とかはあまり問題にならないんだろう。いかに出会った楽器を自分のものにしていくかが本当に大切な事なんだな。楽器を文字通り音楽を楽しむための道具として使う事よりも、楽器を選んで買う事ばかりに時間と労力をかけるのはやはり“のーたりん”のやることであり、私自身もそういった傾向が強い困った奴なのだった。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽